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知性的卓越性と観想的な生活【ニコマコス倫理学#3】/哲学チャンネル

2022-10-10 06:10:57 | 哲学の窓

哲学チャンネル より 知性的卓越性と観想的な生活【ニコマコス倫理学#3】を紹介します。

https://www.youtube.com/watch?v=UjQtTqOLgyQ 

哲学チャンネル

※書籍 ニコマコス倫理学(上) (光文社古典新訳文庫) https://amzn.to/3v4sUFd ※関連した動画 幸せってなんだ?【ニコマコス倫理学#1】 https://youtu.be/eE89LhkCUQQ 倫理的卓越性と徳の中間性(中庸)【ニコマコス倫理学#2】 https://youtu.be/jvsgv1jKSLI 二コマコス倫理学を圧縮してみた(note) https://note.com/tetsugaku_ch/n/n66ac... とっつきづらい哲学や心理学の内容を、出来るだけわかりやすく簡潔に お伝えすることを目的としたチャンネルです。 チャンネル登録、高評価、拡散、ぜひぜひ宜しくお願いいたします! 動画の書き起こし版 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 中庸の徳を実現するためには「どこが中間地点なのか?」を 判別するための知性が必要です。 アリストテレスはこれを「知性的卓越性」と表現しました。 彼はその上で「真理を認識するための手段」を5つに分類します。 順不同になりますが、それぞれ簡単に説明します。 まずは「技術(テクネー)」 これは、ある存在のはじまりが製作者に関連した物事について ある存在をどのように生み出すのかを論理的に思案することを指します。 次に「知性(ヌース)」 知識の基本となる原理や定理のことです。 それ以上に分割不可能な根本情報ですね。 デカルトが哲学を再構築する際に求めたものと同一だと言えるかもしれません。 三つ目は「学問的知識(エピステーメー)」 知性に対応した原理から、演繹的に導出された結論のことです。 逆に学問的知識を帰納的に推論すると、普遍的真理に辿り着きます。 原理から演繹的に導き出された結論ですから、 アリストテレスはこれを「必然的なもの」と表現しています。 四つ目は「智慧(ソフィア)」 これは単純に「哲学」のことだと考えて良いと思います。 ニコマコス倫理学では智慧についてこう表現されます。 「智慧」とは、さまざまな学問的知識のなかでも、達人の域に達したもののことであろう (6-7) そして最後に「思慮深さ(フロネーシス)」 アリストテレスはこの働きを最重要なものだと捉えました。 「思慮深さ」は実践を伴う判断に関係する卓越性です。 知性や学問的知識によって行われるのはある事柄の認識です。 しかし幸福を手に入れるためには「実践」をしないといけません。 いくら正しい認識を持っていても、実践がなければ その認識はないのと一緒だからです。 「思慮深さ」は認識から派生する実践の是非を判断します。 言い方を変えれば「知性」や「学問的知識」が判別するのは正誤であり 「思慮深さ」が判別するのは善悪だということです。 このように、知性的卓越性の中でも特に「思慮深さ」を発揮することが 人間が幸福になるために必要なことだと主張します。 知性的卓越性の整理をした後に、 彼は「愛」について語り始めます。 「愛される」ということには3つの性質があると言います。 1その対象を愛することで利益を得ることができる「有用な」性質 2その対象を愛することで快楽を得ることができる「快い」性質 そして、3その対象を愛すること自体が目的である「善い」性質 1と2の性質においては、愛する相手が愛の対象になっているわけではなく 実際はその過程で得られる利益や快楽が愛の対象です。 一方で3は愛する相手自体が愛の対象になっていますね。 彼は、3が最も尊い愛であり、3のような愛され方をするためには その人が「善い人」でないといけないと考えました。 また、愛において最も特徴的なことについては 1、双方に喜びがあること 2、共に日々を過ごすこと だと述べています。 以上のことから、アリストテレスはこう言います。 これらの特徴のそれぞれは、高潔な人の場合に、自分自身との関係において成り立っているのである (9-4) 高潔な人は自らと意見が一致しており、自らと同じものを魂全体において欲求するからである。そしてそれゆえ、この人は自分自身に善と、善に思われるものを願い、また行為する (同) 愛の条件を考えると、善い人の愛の対象は自分自身に向かうはずであり その愛は「善い愛」に違いないと考えるわけですね。 その上で、こうも述べます。 このような人はまた、「自分とともに[つまり、一人で]過ごす」ことを願う。 一つ目の動画でアリストテレスが上げた代表的な生き方を紹介しました。 この中で「観想的な生活」が最も良いとしましたが、 その理由がここにあるわけです。 善い人はその善さ故に自分自身に愛され、 1、双方に喜びがあること 2、共に日々を過ごすこと を実現していく。 そして「善い」とは「知恵」を十分に働かせていることだから その生活は観想的、つまり「知恵を愛する」生活になるだろうと。 ニコマコス倫理学の主題は「幸福」です。 幸福とは何か? 幸福に生きるためにはどうしたら良いか? アリストテレスはこう答えます。 幸福とは究極の目的であり、徳の最終系である。 徳とは人間が固有に持つ卓越性である。 さまざまな卓越性をちょうど良く(中庸)発揮することが善い。 徳の中間性を認識し実践するためには知恵(知性的卓越性)が必要だ。 よって、知恵を愛する生活が一番幸福に近い。 ちなみに、この結論の解釈にはまだ明確な答えが出ていません。 「観想的な生活こそ至高で、知恵さえあればそれはもう幸福である」と解釈する【優越派】と 「知恵以外の徳も重要であり、それらの徳が知恵を下支えする必要がある」と解釈する【包括派】 とはいえ、少なくともアリストテレスは 幸福の実現には知恵が必要だと言っています。 そして、幸福のためには実践と習慣による学習(教育)も必要だと。 個人的には、彼は本書で答えを提示しようとしているわけではなく それぞれの答えにたどり着くための態度を提示しているように思います。 そう考えると【優越派】と【包括派】にはお互いに矛盾が生じない気もしますね。 本書の最後で、彼は「探究の目的は十分に達していない」と説きます。 いくら徳や幸福について理解したところで それを実践しないと何にもならないからです。 ニコマコス倫理学ではこう表現されています。 ここまで語ってきたように善き人になろうとする者は、適切に養育され、立派に習慣づけられて、その後すぐれた課題をこなして立派に生き、不本意にせよ自発的にせよ、劣悪なことを為さないようにしなければならない。 (10-9) そして、こうした環境を作り上げるのが国家であり、 国家のあり方を定義するのが政治学なのです。 「それでは、最初から議論を始めよう」 本書はこう締めくくられ「政治学」の第一章へと続きます。 3回にわたって【ニコマコス倫理学】を紹介させていただきましたが なるべくコンパクトにするために興味深い箇所をいくつも削っています。 例えば三巻前半の「行為と選択」について また五巻の「正義について」など この動画を見てご興味を持ってくださいましたら ぜひ本書を読んでみてください。 できればそれをもとに誰かと議論できると最高ですね。 それがきっと「観想的な生活」の一つでしょうから。


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