今朝(5月14日)の新聞社のコラムは、鳩山首相がいろいろな形で登場しています。
読売新聞;編集手帳を引用します。
日露戦争の日本海海戦を勝利に導いた参謀、秋山真之は『天剣漫録(てんけんまんろく)』に書いている。〈細心焦慮は計画の要能(ようのう)にして、虚心平気は実施の原力也(なり)〉。計画は細心に、実施は一転してアッケラカンと平気の平左(へいざ)で行け、と
◆軍事に限らず、国政の運営から企業経営まで、万般に通じる心得だろう。鳩山首相の場合は逆で、夢のような計画を平気の平左で約束し、実行の段になって今は焦慮に身を焼かれている
◆「普天間」を国外か県外に移設して沖縄の負担を軽減し、米国も納得し、日本の安全保障は揺るぎない――夢想するだけなら、誰もが夢想する。為政者は、しかし、実現の道筋も考えぬまま、夢想に踊ってはいけない
◆衆院選の遊説で約束した「最低でも県外」を“個人の発言”として反古(ほご)にしたのに続き、「5月末までの決着」も果たせないことを、ついに首相が認めた
◆願望を口にすれば、まわりの誰かが叶(かな)えてくれる…羽毛のように軽い言葉は恵まれた生い立ちにも起因しているか。無責任な夢想をアッケラカンと約束する無邪気さは、月々1500万円のお小遣いをもらえる境涯と無関係ではあるまい。
最後のセンテンスは皮肉ですが、本質を突いています。
毎日新聞;余録も絶妙なロジックです。
英語でバック(buck)は雄ジカのことだ。その昔、ポーカーの際にはシカの角を柄にしたナイフを次の親の前に置いたという話が伝わっている。バックはポーカーの親を示す印という意味になり、場を仕切る「責任」のたとえともなった
▲だから「バックを誰かに回す」といえば、責任をなすりつけるという意味になる。最も有名なのはトルーマン米大統領がその執務室の机上に掲げていた「ザ・バック・ストップス・ヒア」--責任はここで行きどまり、つまり全責任は私がとるというモットーである
▲そのトルーマンが原爆投下の決断もしたのだから日本人には苦い思いがよぎるが、途方もない数の人の運命を左右できる政治家の「責任」の恐ろしさも痛感する。バックのありかが国民にはっきり示され、その動きに厳しい視線が注がれるのが民主政治の約束である
▲そのバックがどこへ行ったのか、さっぱり分からぬ鳩山政権だ。普天間飛行場移設で自ら「5月末決着」の期限を切った首相は来月以降の交渉継続に言及した。大方が「何を今さら」と受け止める中での月内決着断念表明だ。開いた手元に案の定バックはなかった
▲「最低でも県外移設」「トラスト・ミー」はじめ、その場しのぎの発言のあげくに誰も首相の言葉を信用できなくなったてん末はまるで子供むけの教訓話だ。意図はどうあれ、行為の結果が厳しく問われる政治の「責任」の重さなどはなから首相の眼中にないらしい
▲思えば昨年の年内決着断念の時点で首相自ら今年5月末へと放り投げた責任のバックだ。落ちてきたら今度はけ飛ばして身から遠ざけるつもりなのか。
どの新聞社も、コラムの担当者は、秀でた筆力と人間力のある人と聞いています。
さすがとしかいえません。
産経新聞の社説では、「国民の信頼がなくなったら政治は成り立たない。首相としての信を失っている。退陣もやむを得ない。」と退陣の文字もでてきました。
5月末決着に「職を賭す」とした鳩山首相。
私たちは「がんばれ!」としか言えません。
決断できるのは、鳩山首相だけなのですから・・・
読売新聞;編集手帳を引用します。
日露戦争の日本海海戦を勝利に導いた参謀、秋山真之は『天剣漫録(てんけんまんろく)』に書いている。〈細心焦慮は計画の要能(ようのう)にして、虚心平気は実施の原力也(なり)〉。計画は細心に、実施は一転してアッケラカンと平気の平左(へいざ)で行け、と
◆軍事に限らず、国政の運営から企業経営まで、万般に通じる心得だろう。鳩山首相の場合は逆で、夢のような計画を平気の平左で約束し、実行の段になって今は焦慮に身を焼かれている
◆「普天間」を国外か県外に移設して沖縄の負担を軽減し、米国も納得し、日本の安全保障は揺るぎない――夢想するだけなら、誰もが夢想する。為政者は、しかし、実現の道筋も考えぬまま、夢想に踊ってはいけない
◆衆院選の遊説で約束した「最低でも県外」を“個人の発言”として反古(ほご)にしたのに続き、「5月末までの決着」も果たせないことを、ついに首相が認めた
◆願望を口にすれば、まわりの誰かが叶(かな)えてくれる…羽毛のように軽い言葉は恵まれた生い立ちにも起因しているか。無責任な夢想をアッケラカンと約束する無邪気さは、月々1500万円のお小遣いをもらえる境涯と無関係ではあるまい。
最後のセンテンスは皮肉ですが、本質を突いています。
毎日新聞;余録も絶妙なロジックです。
英語でバック(buck)は雄ジカのことだ。その昔、ポーカーの際にはシカの角を柄にしたナイフを次の親の前に置いたという話が伝わっている。バックはポーカーの親を示す印という意味になり、場を仕切る「責任」のたとえともなった
▲だから「バックを誰かに回す」といえば、責任をなすりつけるという意味になる。最も有名なのはトルーマン米大統領がその執務室の机上に掲げていた「ザ・バック・ストップス・ヒア」--責任はここで行きどまり、つまり全責任は私がとるというモットーである
▲そのトルーマンが原爆投下の決断もしたのだから日本人には苦い思いがよぎるが、途方もない数の人の運命を左右できる政治家の「責任」の恐ろしさも痛感する。バックのありかが国民にはっきり示され、その動きに厳しい視線が注がれるのが民主政治の約束である
▲そのバックがどこへ行ったのか、さっぱり分からぬ鳩山政権だ。普天間飛行場移設で自ら「5月末決着」の期限を切った首相は来月以降の交渉継続に言及した。大方が「何を今さら」と受け止める中での月内決着断念表明だ。開いた手元に案の定バックはなかった
▲「最低でも県外移設」「トラスト・ミー」はじめ、その場しのぎの発言のあげくに誰も首相の言葉を信用できなくなったてん末はまるで子供むけの教訓話だ。意図はどうあれ、行為の結果が厳しく問われる政治の「責任」の重さなどはなから首相の眼中にないらしい
▲思えば昨年の年内決着断念の時点で首相自ら今年5月末へと放り投げた責任のバックだ。落ちてきたら今度はけ飛ばして身から遠ざけるつもりなのか。
どの新聞社も、コラムの担当者は、秀でた筆力と人間力のある人と聞いています。
さすがとしかいえません。
産経新聞の社説では、「国民の信頼がなくなったら政治は成り立たない。首相としての信を失っている。退陣もやむを得ない。」と退陣の文字もでてきました。
5月末決着に「職を賭す」とした鳩山首相。
私たちは「がんばれ!」としか言えません。
決断できるのは、鳩山首相だけなのですから・・・