とっつきづらい哲学や心理学の内容を、出来るだけわかりやすく完結に お伝えすることを目的としたチャンネルです。
動画の書き起こし版です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ショーペンハウアーは1788年にドイツのダンツィヒで生まれました。 裕福な家庭で育った彼は、とても幸せな暮らしをしていたと言われています。 そんな中、10代の頃に家族とヨーロッパの周遊旅行に出かけ、 そこで 過酷な強制労働や、絞首刑に処される人々などを目にして 激しい衝撃を受けたことが彼の日記に残っています。 21歳になると、ゲッティンゲン大学に進学し、そこで哲学を学びます。 最初はシェリングに傾倒していたらしいですが、 師匠に『カントとプラトンの思想を習得しなさい』と助言され、 そこからカントとプラトンの思想に大きな影響を受けるようになります。 その後、23歳でベルリン大学へ移り、そこでフィヒテの指導を受けます。 しかしその翌年にはフィヒテへの尊敬は否定の気持ちへと変化し、 そこからは、独自の思想を固めていくことになります。 ショーペンハウアーは著書『意志と表象としての世界』にて 世界は人間の意志と表象であると言いました。 つまり、私たちの世界は人間の表象でもあり、意志でもあると言っているわけです。 まず今回に関しては、おさらいの意味も含めて、 『世界は人間の表象である』について解説します。 完璧に一致しているわけではないのですが、 これについてはカントの【現象界】と同じと捉えて大丈夫です。 人間は視覚やその他の感覚器官で受け取った情報を 人間特有の時間的、空間的な認識方法で処理することにより対象を把握します。 カントはこのことを『対象は認識に従う』といい、 人間は生得的(アプリオリ)に共通の認識方法を持っていると考えました。 そして、人間がある一定の認識方法で対象を『生成』している以上、 その元となった【モノ自体】を正しく認識することはできません。 このことから、人間が語り得るのは認識された後の事柄であって、 その手前のモノ自体に関しては人間が理解することはできないとしたのです。 モノ自体には『神』や『自由』や『善』といった概念が含まれます。 そのような概念が存在する世界のことを【英知界】と呼ぶのです。 プラトンはカントのモノ自体にあたる概念を【イデア】と表しました。 そして、人間が認識できる範囲の世界、つまり生成された後の対象の世界を 【現象界】と呼んだわけですね。 これがそのまま『世界は人間の表象である』の意味です。 もう少しわかりやすい例を出すのであれば、 あなたがもし死んだとします。 死んでしまった後の世界はどうなるのか? と考えてみるとわかりやすいかもしれません。 世界が自分の表象であるとするならば、 自分が死んでしまった後は、表象である世界はなくなることになります。 普通に考えると違和感がありますよね。 しかし、こう考えてみてはどうでしょう。 私たちは自分を取り巻く【モノ自体】を直観して対象を生成している。 そして、その生成している根拠は自分自身の認識方法にある。 であれば、自分が認識している世界と、他者が認識している世界が 同じであるかどうか?については判断することができません。 これは、クオリアの問題と近いですね。 極端に言えば、『私』が認識している世界は、私の認識においては 他の誰でもない私だけの世界だと言えるのです。 ですから、仮にその根拠である私が死んでしまったら、 当然それまで続いてきた認識はなくなり、 それと同時に『私が認識していた世界』は消えてなくなりますよね。 これを私の表象が消えた。 といっても大きな違和感はないと思います。 このようにして、ショーペンハウアーは この世界の【一方の側面】は表象であると考えたのです。 ここまではドイツ観念論と近い考え方です。 ちなみに彼は博士論文で『根拠の原理の4つの根について』という 人間固有の認識方法についての研究を発表をしています。 このとき、若干25歳です。ガチの天才です。 そして、彼はここからさらに一歩踏み込んだ考え方をします。 私が死んでしまったとして、 私が表象していた世界が消えてなくなる。 のは分かったと。 では、本当に自分が死ぬと世界そのものが無になってしまうのか? ここまでの話でもこれは考えられないわけですね。 そもそも表象を生み出していた大元のものがあったはずです。 そうです。いわゆるモノ自体です。 私たちはモノ自体を直感することで認識によって対象(表象)を生み出していたはずです。 であるならば、認識の後にある表象が消えたところで、 その手前にあったモノ自体は消えないと考えるのが普通です。 カントはモノ自体を理解することはできないといいましたが、 ショーペンハウアーはこれをなんとか理解しようとしました。 でも、モノ自体を認識することはできないのは間違いないので 直接観測して何かを判断することはできません。 そこで彼は、表象の方に着目しました。 モノ自体が認識できないとしても、その現れである表象を観察しまくれば 何かの共通点などが見つかるのではないか? そこから逆算してモノ自体の本質に近づくことができるのではないか? そのように考えたんですね。 そして、モノ自体は『意志』である。 という結論にたどり着きます。
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