昨日、梅雨が明けました。
今日は新聞休刊日なので、昨日の社説を見てみましょう。
朝日新聞
・ 「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄は1937年、議会での演説を前に、辞世の歌を詠んでいた。軍部の横暴に批判を加えようとする演説で、暗殺をも覚悟しなければならなかったからだ。回想録の『民権闘争七十年』にある
▼〈命にもかへてけふなす言説をわが大君はいかに見たまふ〉。前年に起きた2・26事件は、閣僚ら幾人ログイン前の続きもの生命を奪った。軍事クーデターとしては未遂に終わったが、影響は続いた。テロの恐怖を背景に軍部が発言力を増していった
▼時代や国は変わっても悲劇は続くのか。トルコで軍の一部が企てたクーデターは、多くの犠牲を伴いながらも鎮圧された。それでも懸念はなくなりそうにない。これを機に政府がこれまで以上に強権的になるのではとの見方がある
▼政権はエルドアン大統領の政敵とされる人物を事件の首謀者だと断定し、関係が近いとみられる裁判官ら2千人余の職権も一時停止した。そうでなくとも大統領に批判的な学者や記者が摘発され、言論の自由が脅かされている
▼軍事政権が生まれる最悪の事態は避けられた。しかし再発防止を理由に独裁傾向を強めれば、それもまた社会を不安定にするのではないか
▼5年ほど前、首相だったエルドアン氏を取材した。経済が好調で世界の資金が集まるのが誇らしそうで、「お金を置くのに安全な港だと世界から見られている」と語っていた。一転して政治も経済も不安定化する昨今である。対話抜きに腕力だけでしのげるとは、とても思えない。
毎日新聞
・ 清水の次郎長が賭博(とばく)の容疑で逮捕されたのは明治17(1884)年。64歳のときだった。裁判は行われず、警察署長自ら取り調べて懲役7年、罰金400円の刑に処せられた。静岡県内の自由民権運動に次郎長と近い勢力が絡んでいるのを疑った静岡県令との確執もあったとされる
▲旧幕臣のころから親しかった山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)らの働きかけで次郎長は翌年に仮釈放される。刑事訴訟法の前身の「治罪法」の時代ではあるが、日本で最初の仮釈放だと「誰も書かなかった清水次郎長」(江崎惇(えざきあつし)著)は述べる
▲「入獄中能(よ)く獄則を遵守(じゅんしゅ)し、改心の状あるを以(もっ)て其(その)筋の恩典を蒙(こうむ)り仮出獄を許されし……」。次郎長の仮釈放を報じる明治19年8月18日の東京日日新聞(現在の毎日新聞)の記事である。ずいぶんと模範囚だったことが書かれている
▲今年6月から「刑の一部執行猶予」制度が始まった。懲役刑は罪を犯した人を刑務所に収容して反省を促すことが目的だ。しかし、「一部執行猶予」は刑務所で長期服役させるのではなく、社会の中で十分な時間をかけて再犯防止を図ることを目指す
▲再犯率が高い薬物依存者の更生や社会復帰につながることが期待されている。仕事や社会貢献活動を通して「社会から必要とされる人」という新しいアイデンティティー(自己イメージ)を獲得することが再犯防止効果を高めるという研究もある
▲若いころはやくざ同士の抗争に明け暮れた次郎長だが、仮釈放後は「汽船宿兼温泉」を開業した。「其利益金は悉(ことごと)く公益の事業に之(こ)れを投ぜんとの覚悟なる由……」と社会貢献に晩年をささげたことを同記事は伝える。
日本経済新聞
・「学校の体育の授業というのは、人をスポーツ嫌いにさせるために存在しているのではないのか」。作家の村上春樹さんは随筆でそう振り返る。同じ体操着を着て、やりたくない運動をさせられるのが苦痛で仕方なかった。自分は運動が不得意だとも思っていたという。
▼スポーツ観が百八十度変わるのは社会に出てからだ。自分の意思で興味のある運動をしてみると、実に楽しい。今ではすっかりマラソン好きになり、走ることについての本も書いた。村上さん同様、大人になってから走る面白さに目覚めた人たちは多いらしく、各地で町おこしを兼ねたマラソン大会が盛んに開かれている。
▼日本生産性本部がまとめた今年版の「レジャー白書」をみると「ジョギング、マラソン」の参加人口は前年より50万人増えた。種目別ランキングでもテレビゲームやバーベキュー、ペットなどを抜き28位から19位へ急上昇している。参加した回数は平均34回。ゴルフの2倍、野球の3倍だ。愛好家の熱心さが伝わってくる。
▼白書によれば、外食やドライブなど主なレジャーは軒並み参加人口が減っている。レジャー市場全体も4年ぶりのマイナスだ。マラソンが例外的に伸びたのは安上がりで健康に役立つ点も大きいようだ。きょうは海の日。来月は初の山の日も控える。政府も企業も消費者の散財を期待するが、さて思惑通り遊んでくれるか。
産経新聞
・ 喚声と怒号が国技館を揺るがした。座布団やミカンどころか、火鉢やビール瓶まで飛び交った。69連勝を続けていた横綱双葉山が、幕内3場所目の安芸ノ海に敗れた瞬間である。昭和14年1月15日、春場所4日目だった。
▼もっとも「世紀の番狂わせ」は、安芸ノ海一人が成したのではない。同じ出羽海部屋にいた早大出のインテリ力士、笠置山が、2年前から打倒双葉山の戦略を練っていた。立ち合いの突っ張りから最後の外掛けまで、安芸ノ海に授けた作戦は見事に当たった。笠置山はこの戦法を論文にして発表もしている。
▼昭和39(1964)年の東京五輪における知られざるドラマが、またひとつ明らかになった。柔道の強化担当者が2年にわたって綴(つづ)った詳細な日誌が、発見された。もっとも多くページが割かれていたのは、当時の無差別級の覇者、オランダのアントン・ヘーシンク対策である。
▼身長196センチ、体重120キロのヘーシンク選手の最大の武器、寝技をいかに防ぐか。周到に立てた作戦は、結果的に実ることはなく、神永昭夫選手は決勝で敗れた。とはいえ、初めて採用される柔道で全階級の金メダル獲得をめざす、関係者の執念を示した貴重な資料といえる。
▼今年の芝の王者を決めるテニスのウィンブルドンを制したのは、英国のアンディ・マリー選手だった。カナダのミロシュ・ラオニッチ選手との決勝戦で見せた、奇妙なしぐさが気になった。コートチェンジの際、ベンチに座るマリー選手は、バッグの中をのぞき込みメモのようなものを読み上げていた。
▼トップの座を極めるには、秘策も欠かせない。大相撲名古屋場所で、横綱白鵬を倒して綱取りをめざす大関稀勢の里も、当然用意しているはずである。
中日新聞
・「みんなの生命が大切だ」。言わずもがなのことである。しかし米国では今、この言葉が鋭い緊張を生んでいるという。一体どういうことか
▼かの国では黒人が警察官に射殺される事件が、次から次へと起きている。「みんなを守るための警官が私たちを殺している」という怒りが満ち、黒人たちは抗議のため街頭に繰り出して、叫んでいる。「黒人の生命は大切だ」
▼オバマ大統領が「この国の刑事司法制度には人種により扱いに差がある」と語ったように、黒人は白人の倍の割合で警官に撃たれ、逮捕され、より重い刑罰を科せられる現実がある
▼「みんなの…」ではなくあえて「黒人の生命は…」と叫ぶのは、自分たち黒人は本当に「みんな」に含まれているかという痛烈な問い掛けなのだ
▼目を世界に転じれば、米国は「国民の生命を守るため」に世界各地で無人機などによる対テロ攻撃をしているが、米政府の発表によると二〇〇九~一五年に最大百十六人の民間人が巻き添えで死んだとされる。こうした人々の命は「みんな」に入らぬのか
▼テキサス州で警察官五人が射殺された事件の追悼式で、オバマ大統領は「我々の民主主義の最も深い断層があらわになったようだ」と語った。民主主義の礎である「みんなの生命が大切」という平等の理念に走る断層が、米国のみならず世界中で危険な活断層になってはいまいか。
※ いかがでしょうか。
中日が一番重い内容です。考えさせられます。
ジョン・ロールズが政治哲学の名作『正義論』を著したのが1971年。
ハーバード大学で教鞭をとっていたロールズは、この書で正義理論を展開することで、それまで停滞していた戦後の政治哲学の議論に貢献しました。
黒人の公民権運動やベトナム戦争、学生運動に特徴付けられるような社会正義に対する関心の高まりを背景とし、その後の社会についての構想や実践について考察しました。
それから45年。
アメリカ社会はどれだけ変わったのでしょうか。
確かに黒人の大統領が誕生しましたが、変わっていない部分が多すぎます。
今日は新聞休刊日なので、昨日の社説を見てみましょう。
朝日新聞
・ 「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄は1937年、議会での演説を前に、辞世の歌を詠んでいた。軍部の横暴に批判を加えようとする演説で、暗殺をも覚悟しなければならなかったからだ。回想録の『民権闘争七十年』にある
▼〈命にもかへてけふなす言説をわが大君はいかに見たまふ〉。前年に起きた2・26事件は、閣僚ら幾人ログイン前の続きもの生命を奪った。軍事クーデターとしては未遂に終わったが、影響は続いた。テロの恐怖を背景に軍部が発言力を増していった
▼時代や国は変わっても悲劇は続くのか。トルコで軍の一部が企てたクーデターは、多くの犠牲を伴いながらも鎮圧された。それでも懸念はなくなりそうにない。これを機に政府がこれまで以上に強権的になるのではとの見方がある
▼政権はエルドアン大統領の政敵とされる人物を事件の首謀者だと断定し、関係が近いとみられる裁判官ら2千人余の職権も一時停止した。そうでなくとも大統領に批判的な学者や記者が摘発され、言論の自由が脅かされている
▼軍事政権が生まれる最悪の事態は避けられた。しかし再発防止を理由に独裁傾向を強めれば、それもまた社会を不安定にするのではないか
▼5年ほど前、首相だったエルドアン氏を取材した。経済が好調で世界の資金が集まるのが誇らしそうで、「お金を置くのに安全な港だと世界から見られている」と語っていた。一転して政治も経済も不安定化する昨今である。対話抜きに腕力だけでしのげるとは、とても思えない。
毎日新聞
・ 清水の次郎長が賭博(とばく)の容疑で逮捕されたのは明治17(1884)年。64歳のときだった。裁判は行われず、警察署長自ら取り調べて懲役7年、罰金400円の刑に処せられた。静岡県内の自由民権運動に次郎長と近い勢力が絡んでいるのを疑った静岡県令との確執もあったとされる
▲旧幕臣のころから親しかった山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)らの働きかけで次郎長は翌年に仮釈放される。刑事訴訟法の前身の「治罪法」の時代ではあるが、日本で最初の仮釈放だと「誰も書かなかった清水次郎長」(江崎惇(えざきあつし)著)は述べる
▲「入獄中能(よ)く獄則を遵守(じゅんしゅ)し、改心の状あるを以(もっ)て其(その)筋の恩典を蒙(こうむ)り仮出獄を許されし……」。次郎長の仮釈放を報じる明治19年8月18日の東京日日新聞(現在の毎日新聞)の記事である。ずいぶんと模範囚だったことが書かれている
▲今年6月から「刑の一部執行猶予」制度が始まった。懲役刑は罪を犯した人を刑務所に収容して反省を促すことが目的だ。しかし、「一部執行猶予」は刑務所で長期服役させるのではなく、社会の中で十分な時間をかけて再犯防止を図ることを目指す
▲再犯率が高い薬物依存者の更生や社会復帰につながることが期待されている。仕事や社会貢献活動を通して「社会から必要とされる人」という新しいアイデンティティー(自己イメージ)を獲得することが再犯防止効果を高めるという研究もある
▲若いころはやくざ同士の抗争に明け暮れた次郎長だが、仮釈放後は「汽船宿兼温泉」を開業した。「其利益金は悉(ことごと)く公益の事業に之(こ)れを投ぜんとの覚悟なる由……」と社会貢献に晩年をささげたことを同記事は伝える。
日本経済新聞
・「学校の体育の授業というのは、人をスポーツ嫌いにさせるために存在しているのではないのか」。作家の村上春樹さんは随筆でそう振り返る。同じ体操着を着て、やりたくない運動をさせられるのが苦痛で仕方なかった。自分は運動が不得意だとも思っていたという。
▼スポーツ観が百八十度変わるのは社会に出てからだ。自分の意思で興味のある運動をしてみると、実に楽しい。今ではすっかりマラソン好きになり、走ることについての本も書いた。村上さん同様、大人になってから走る面白さに目覚めた人たちは多いらしく、各地で町おこしを兼ねたマラソン大会が盛んに開かれている。
▼日本生産性本部がまとめた今年版の「レジャー白書」をみると「ジョギング、マラソン」の参加人口は前年より50万人増えた。種目別ランキングでもテレビゲームやバーベキュー、ペットなどを抜き28位から19位へ急上昇している。参加した回数は平均34回。ゴルフの2倍、野球の3倍だ。愛好家の熱心さが伝わってくる。
▼白書によれば、外食やドライブなど主なレジャーは軒並み参加人口が減っている。レジャー市場全体も4年ぶりのマイナスだ。マラソンが例外的に伸びたのは安上がりで健康に役立つ点も大きいようだ。きょうは海の日。来月は初の山の日も控える。政府も企業も消費者の散財を期待するが、さて思惑通り遊んでくれるか。
産経新聞
・ 喚声と怒号が国技館を揺るがした。座布団やミカンどころか、火鉢やビール瓶まで飛び交った。69連勝を続けていた横綱双葉山が、幕内3場所目の安芸ノ海に敗れた瞬間である。昭和14年1月15日、春場所4日目だった。
▼もっとも「世紀の番狂わせ」は、安芸ノ海一人が成したのではない。同じ出羽海部屋にいた早大出のインテリ力士、笠置山が、2年前から打倒双葉山の戦略を練っていた。立ち合いの突っ張りから最後の外掛けまで、安芸ノ海に授けた作戦は見事に当たった。笠置山はこの戦法を論文にして発表もしている。
▼昭和39(1964)年の東京五輪における知られざるドラマが、またひとつ明らかになった。柔道の強化担当者が2年にわたって綴(つづ)った詳細な日誌が、発見された。もっとも多くページが割かれていたのは、当時の無差別級の覇者、オランダのアントン・ヘーシンク対策である。
▼身長196センチ、体重120キロのヘーシンク選手の最大の武器、寝技をいかに防ぐか。周到に立てた作戦は、結果的に実ることはなく、神永昭夫選手は決勝で敗れた。とはいえ、初めて採用される柔道で全階級の金メダル獲得をめざす、関係者の執念を示した貴重な資料といえる。
▼今年の芝の王者を決めるテニスのウィンブルドンを制したのは、英国のアンディ・マリー選手だった。カナダのミロシュ・ラオニッチ選手との決勝戦で見せた、奇妙なしぐさが気になった。コートチェンジの際、ベンチに座るマリー選手は、バッグの中をのぞき込みメモのようなものを読み上げていた。
▼トップの座を極めるには、秘策も欠かせない。大相撲名古屋場所で、横綱白鵬を倒して綱取りをめざす大関稀勢の里も、当然用意しているはずである。
中日新聞
・「みんなの生命が大切だ」。言わずもがなのことである。しかし米国では今、この言葉が鋭い緊張を生んでいるという。一体どういうことか
▼かの国では黒人が警察官に射殺される事件が、次から次へと起きている。「みんなを守るための警官が私たちを殺している」という怒りが満ち、黒人たちは抗議のため街頭に繰り出して、叫んでいる。「黒人の生命は大切だ」
▼オバマ大統領が「この国の刑事司法制度には人種により扱いに差がある」と語ったように、黒人は白人の倍の割合で警官に撃たれ、逮捕され、より重い刑罰を科せられる現実がある
▼「みんなの…」ではなくあえて「黒人の生命は…」と叫ぶのは、自分たち黒人は本当に「みんな」に含まれているかという痛烈な問い掛けなのだ
▼目を世界に転じれば、米国は「国民の生命を守るため」に世界各地で無人機などによる対テロ攻撃をしているが、米政府の発表によると二〇〇九~一五年に最大百十六人の民間人が巻き添えで死んだとされる。こうした人々の命は「みんな」に入らぬのか
▼テキサス州で警察官五人が射殺された事件の追悼式で、オバマ大統領は「我々の民主主義の最も深い断層があらわになったようだ」と語った。民主主義の礎である「みんなの生命が大切」という平等の理念に走る断層が、米国のみならず世界中で危険な活断層になってはいまいか。
※ いかがでしょうか。
中日が一番重い内容です。考えさせられます。
ジョン・ロールズが政治哲学の名作『正義論』を著したのが1971年。
ハーバード大学で教鞭をとっていたロールズは、この書で正義理論を展開することで、それまで停滞していた戦後の政治哲学の議論に貢献しました。
黒人の公民権運動やベトナム戦争、学生運動に特徴付けられるような社会正義に対する関心の高まりを背景とし、その後の社会についての構想や実践について考察しました。
それから45年。
アメリカ社会はどれだけ変わったのでしょうか。
確かに黒人の大統領が誕生しましたが、変わっていない部分が多すぎます。