1月2日は新聞休刊日なので、昨日のコラムから一部を紹介します。
毎日新聞
・ 作家、吉屋信子(よしや・のぶこ)の句に「初(はつ)暦(ごよみ)知らぬ月日は美しく」がある。新年に初めて用いる暦が初暦である。並ぶ月日はまだ何の影も屈託(くったく)も宿さず、等しく輝いて見える。同じ作者に、この発想を暦売りに託した句もある
▲「暦売知らぬ月日を抱へ持つ」。例年にましてこの句に共感するのは、今年のカレンダーでは新天皇が即位する5月からの新元号が空白のままだからだ。4~5月の10連休や10月22日の即位の礼の祝日も印刷できなかったものが多い
▲4月末の天皇陛下の退位で平成が終わり、皇太子さまの新天皇即位により新しい元号で表される時代が始まる。平成の月日を振り返りつつ、次の時代に思いをめぐらす……今までの歴史には一度もないお正月を迎えた日本列島である
▲30年前、冷戦終結にわいた世界は今、米中の覇権争いに揺らぎ、欧州も民主主義の危機にあえぐ。バブル崩壊からの長い混迷を経た日本は、少子高齢化の文明的な試練の中にある。2度の大震災など多くの災害の傷もいまだ癒えない
▲次の何十年か、私たちは平和を守り、世界を今より少しでも良いものにできるだろうか。人口減少に応じた新たな文明を創り出し、社会の活力と品位を保てるのだろうか。後を継ぐ者に、良いもの、大切な価値を引き継げるだろうか
▲いつものお正月よりも視線がちょっと遠くへと向かうのは、なにも改元のおかげというばかりでもなさそうだ。おりしも今、私たちが抱える課題がより広い文明的視野を必要としているからに違いない。
日本経済新聞
・ 米国と中国の貿易戦争、90日の休戦のなか迎えた新年である。激しいパンチの応酬がやんで両巨頭がコーナーに下がっている間に、それぞれの市民の暮らしの様子をのぞいてみよう。「寿命延びぬ米国」との見出しが本紙にあった。薬物の過剰摂取が影を落としている。
▼一昨年、10万人当たりの薬物による死亡者は22人と前年比1割増えた。自殺も1942年以来の最高水準という。「社会の絆が弱まり、絶望感が強まっている」とは識者の分析である。「自分を愛するように隣人を愛せよ」と福音書は教えるが、分断の深まりや誇りの喪失が白人を中心に一部の層を追い詰めているようだ。
▼一方の中国。監視社会の度が一段と強まるらしい。北京市が街頭カメラなどで人々の行動を点数化する試みを進めていると聞く。スコアが高ければ便利に行政サービスを受けられ、逆はブラックリストに載せるとか。太平の世に満足した市井の老人が、腹つづみを打ち、地をたたいた故事の陽気な雰囲気とはだいぶ異なる。
▼摩擦が長引けば、市場は動揺し、生活へ今以上の影が差そう。手打ちへ向けたトップの電話協議がされたりして、47年前の急転直下の仲直りのような事態も期待させる。しかし、次世代のハイテク覇権をかけた争い、先はなかなか見通しにくい。2つの国の人だけでなく、他国の市民をも安堵させてくれるお年玉がほしい。
中日新聞
・ 円を描くように、傾いていた軸がゆっくり直立すると、見守る顔にうれしさが浮かぶ。かつて正月の路地裏には、こまを中心にこんな顔がよくあった
▼こまの回転を若者に例えたのは三島由紀夫だ。短編にこんな一節がある。<少年といふものは独楽(こま)なのだ。廻(まわ)りだしてもなかなか重心が定まらない。傾いたままどこへころがつてゆくかわからない…しかし独楽は、巧(うま)く行けば、澄む>(『独楽』)
▼澄むとは、回りながら、まるで止まったように見える状態だろう。まず危なっかしく傾いて、そこをうまく切り抜けると澄む。少年の歩みに限らず、人の営みにも似ていようか
▼年が明けた。平成の終わりと新たな時代の始まりを目の前に控える節目である。戦後、日本人は全力で回転してきた。回っただけの成長を手にした昭和は遠く、実りの少なさと停滞を見せてきた平成も終わろうとしている
▼この先、人口はさらに減る。豊かになりたいという欲望も、昔ほどではなさそうだ。全力で成長を追い求めるのをどこまで続けていくべきなのか。多難が見通される時代に、成長一辺倒ではない、別の心棒を、ゆっくりとした回転を、探す時が、近づいているようにみえる
▼<一片の雲ときそへる独楽の澄み>木下夕爾。空の色を映しながら、澄んで立つこまのように、まずは新しい年の世の中の営みが、うまく回ることを祈りたい。
※
毎日新聞
・ 作家、吉屋信子(よしや・のぶこ)の句に「初(はつ)暦(ごよみ)知らぬ月日は美しく」がある。新年に初めて用いる暦が初暦である。並ぶ月日はまだ何の影も屈託(くったく)も宿さず、等しく輝いて見える。同じ作者に、この発想を暦売りに託した句もある
▲「暦売知らぬ月日を抱へ持つ」。例年にましてこの句に共感するのは、今年のカレンダーでは新天皇が即位する5月からの新元号が空白のままだからだ。4~5月の10連休や10月22日の即位の礼の祝日も印刷できなかったものが多い
▲4月末の天皇陛下の退位で平成が終わり、皇太子さまの新天皇即位により新しい元号で表される時代が始まる。平成の月日を振り返りつつ、次の時代に思いをめぐらす……今までの歴史には一度もないお正月を迎えた日本列島である
▲30年前、冷戦終結にわいた世界は今、米中の覇権争いに揺らぎ、欧州も民主主義の危機にあえぐ。バブル崩壊からの長い混迷を経た日本は、少子高齢化の文明的な試練の中にある。2度の大震災など多くの災害の傷もいまだ癒えない
▲次の何十年か、私たちは平和を守り、世界を今より少しでも良いものにできるだろうか。人口減少に応じた新たな文明を創り出し、社会の活力と品位を保てるのだろうか。後を継ぐ者に、良いもの、大切な価値を引き継げるだろうか
▲いつものお正月よりも視線がちょっと遠くへと向かうのは、なにも改元のおかげというばかりでもなさそうだ。おりしも今、私たちが抱える課題がより広い文明的視野を必要としているからに違いない。
日本経済新聞
・ 米国と中国の貿易戦争、90日の休戦のなか迎えた新年である。激しいパンチの応酬がやんで両巨頭がコーナーに下がっている間に、それぞれの市民の暮らしの様子をのぞいてみよう。「寿命延びぬ米国」との見出しが本紙にあった。薬物の過剰摂取が影を落としている。
▼一昨年、10万人当たりの薬物による死亡者は22人と前年比1割増えた。自殺も1942年以来の最高水準という。「社会の絆が弱まり、絶望感が強まっている」とは識者の分析である。「自分を愛するように隣人を愛せよ」と福音書は教えるが、分断の深まりや誇りの喪失が白人を中心に一部の層を追い詰めているようだ。
▼一方の中国。監視社会の度が一段と強まるらしい。北京市が街頭カメラなどで人々の行動を点数化する試みを進めていると聞く。スコアが高ければ便利に行政サービスを受けられ、逆はブラックリストに載せるとか。太平の世に満足した市井の老人が、腹つづみを打ち、地をたたいた故事の陽気な雰囲気とはだいぶ異なる。
▼摩擦が長引けば、市場は動揺し、生活へ今以上の影が差そう。手打ちへ向けたトップの電話協議がされたりして、47年前の急転直下の仲直りのような事態も期待させる。しかし、次世代のハイテク覇権をかけた争い、先はなかなか見通しにくい。2つの国の人だけでなく、他国の市民をも安堵させてくれるお年玉がほしい。
中日新聞
・ 円を描くように、傾いていた軸がゆっくり直立すると、見守る顔にうれしさが浮かぶ。かつて正月の路地裏には、こまを中心にこんな顔がよくあった
▼こまの回転を若者に例えたのは三島由紀夫だ。短編にこんな一節がある。<少年といふものは独楽(こま)なのだ。廻(まわ)りだしてもなかなか重心が定まらない。傾いたままどこへころがつてゆくかわからない…しかし独楽は、巧(うま)く行けば、澄む>(『独楽』)
▼澄むとは、回りながら、まるで止まったように見える状態だろう。まず危なっかしく傾いて、そこをうまく切り抜けると澄む。少年の歩みに限らず、人の営みにも似ていようか
▼年が明けた。平成の終わりと新たな時代の始まりを目の前に控える節目である。戦後、日本人は全力で回転してきた。回っただけの成長を手にした昭和は遠く、実りの少なさと停滞を見せてきた平成も終わろうとしている
▼この先、人口はさらに減る。豊かになりたいという欲望も、昔ほどではなさそうだ。全力で成長を追い求めるのをどこまで続けていくべきなのか。多難が見通される時代に、成長一辺倒ではない、別の心棒を、ゆっくりとした回転を、探す時が、近づいているようにみえる
▼<一片の雲ときそへる独楽の澄み>木下夕爾。空の色を映しながら、澄んで立つこまのように、まずは新しい年の世の中の営みが、うまく回ることを祈りたい。
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