豊臣秀吉の朝鮮出兵と徳川家康のキリスト弾圧 天下人の外交戦略の意外な共通点 秀吉と家康の外交戦略【後編】「家康公検定2022参考動画」
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世界は大航海時代。西欧列強国がアジアを中心に植民地支配に乗り出していた。そんな中、ポルトガルの明国支配の兆候を知った豊臣秀吉は、ポルトガルに対抗するために明の侵攻を決意した。そのためには通り道となっていた朝鮮への出兵が必要になったのである。豊臣の重臣・加藤清正らが中心となり侵攻の乗り出しが、2度目の朝鮮出兵「慶長の役」の途中で秀吉が病死してしまい、撤退を余儀なくされた。 その後そんな外圧に対抗したのが徳川家康だった。今回は秀吉と家康の外交政策について紹介する。
【 戦国外交史 】