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6月13日は新聞休刊日

2016-06-13 05:28:02 | 社説を読む
今日は新聞休刊日なので、昨日のコラムを見てみましょう。

朝日新聞
・ まもなく熊本地震から2カ月を迎える。被災直後、現地のスーパーやコンビニで水とともにまっ先に売り切れたのは、おにぎりだった。炊き出しが始まって最初に配られたのもおにぎりだ。被災地で何より頼れる非常食だろう

▼日本のおにぎり史は2千年前にさかのぼる。各地の弥生時代の遺跡から炭化した米の塊が出土する。石川ログイン前の続き県鹿西(ろくせい)町(現中能登町)では1987年に三角形の塊が見つかった。地元は「日本最古級のおにぎり」と呼ぶ。鹿西町の鹿(ろく)と米の字をなす十と八にちなみ、6月18日がおにぎりの日とされた

▼現物を石川県埋蔵文化財センターで拝見した。黒くなければそのままかじれそうな二等辺三角形。正式には、ちまき状炭化米塊と呼ぶ

▼「土中からカツンという感触が来て二つに割れた。興奮しました」。竪穴住居跡から掘り出した栃木英道・金沢城調査研究所副所長(59)は話す。炉のそばでなく外縁部だったことから、日常の食品ではなく魔よけの品と推定する

▼ちまきかおにぎりか、食用か魔よけかの議論は筆者の手にあまる。だが三角形に握り固めたコメが2千年前から私たちの身近にあったことには素朴な感慨を覚える

▼「私にバナナかおにぎりの差し入れを」。熊本地震の直後、現地から政府にせがんだ情けない副大臣がいた。同じころ対照的なふるまいを避難所で見た。おにぎりを受け取る際、両手を合わせ頭をたれるおばあさんたちの姿だ。命をつなぐおにぎりに感謝する古来の祈りのように見えた。

 
毎日新聞
・ 昨年のノーベル文学賞を受賞したベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチさんの著書に「チェルノブイリの祈り」がある。30年前の原発事故に翻弄(ほんろう)された人たちの声を収めた

▲作家は過去の出来事を聞き取りながら、こう感じたという。「私は未来のことを書き記している……」。そして福島の事故は起きた

▲本の中に、放射能で汚染されたベラルーシの村に一人とどまるおばあさんが出てくる。「二度ともどらないつもりで出ていったものは一人もおりません」。寂しくなると墓地に行き、母や夫に話しかける。「ここに放射能なんかあるもんかね。チョウチョがとんでるし、マルハナバチもぶんぶんいってるよ」。彼女はそう言って泣いたが、この先も村を出ようとは考えていない

▲写真家、本橋成一(もとはしせいいち)さんの写真集「ナージャの村」もチェルノブイリ事故で汚染された故郷に残る農民たちを写した作品だ。ある高齢の女性が飼っているヤギにいとおしそうに語りかける。「シロや、シロや。乳しぼりをするかい。餌は食べたかい。シロや、わたしのシロ」

▲村人は原発事故の前と同じように暮らし続けている。ジャガイモやソラマメを育て、若者の結婚式を祝う。彼らの表情は生き生きとしている。放射能への不安があっても、ここでの生活を選んだことの意味を思う

▲福島県葛尾村(かつらおむら)できょう、一部区域を除いて避難指示が解除される。帰るのか、帰らないのか。その判断を迫られること自体の理不尽さ。ベラルーシの村でも葛尾村でも、土地に根付いた暮らしが脈々と営まれてきた。それは原発が造られるはるか昔からのことだ。


日本経済新聞
・ ニュービジネスの担当記者をしていたころ、オフィス街の路上で自家製の弁当を売る人たちを取材したことがある。街角のベンチャー起業家である彼らの商売の壁は何か。保健所。警察。そうした公の規制を乗り越えた後も残る壁があった。付近の飲食店からの反発だ。

▼昔よく見た人力の引き車に代わり、近年増えたのがキッチン設備を積み保健所の許可も得たワゴン車だ。十数年前に登場、当初は道路で営業し警察ににらまれた。警察が黙認するような車の少ない道でも、付近の飲食店の通報で警察が動かざるを得なくなることも多かった。ここに商機を見いだしたイベント会社があった。

▼オフィスビルの持ち主などと交渉して空きスペースを正式に借り、正々堂々と営業できる場を確保したのだ。歩行者用の空間に車を入れるため、安全性の確保には注意したという。もう一つの苦労は、ここでもビル内に入居している他のレストランの反感だ。そこで同種のメニューを扱う弁当店は排するなど工夫を重ねる。

▼ワゴン車にアジア料理など珍しい店が目立つのには、こうした背景がある。店主はいずれ自前の店を構えたい日本の若者や、アジアなどから来た人々。誰もが挑戦者だ。珍しい料理が安く早く買えると、若い会社員らが列を作る。法的にグレー。前例がない。そうした点に皆がこだわっていたら、今のにぎわいはなかった。


産経新聞
・ 米国の実業家、カーネル・サンダースは1006回目の挑戦でようやく笑ったという。

 ▼フライドチキンの独自製法とフランチャイズ方式の売り込みが成功するまでに要した、交渉の回数である。机上の計算だと、可能性1%の物事は450回挑めば99%の確率で報われる。可能性が0.5%でも、2千回の挑戦で成功確率は99.9956%になるらしい(『知ってトクする確率の知識』サイエンス・アイ新書)。

 ▼サンダースの営業が「全力投球」だったか「数撃ちゃ当たる」式だったかは寡聞にして知らない。結果的に、成功率0.5~1%の狭き門をたたき続けて扉は開かれた。余人が同じ確率を前にして、まねできるかどうか。1回目でニコリとできるかもしれない。2千回の挑戦が骨折り損で終わることもある。さいの目と違い現実味を伴わぬ確率への接し方は難しい。

 ▼政府の最新予測では、震度6弱以上の揺れに見舞われる確率は東京都庁のある新宿区で47%という。「30年以内」とした期間の解釈は悩ましいが、コイントスと同等の高確率である。「きょうかも」「いや、ずっと先でしょう」と胸の内で問答をしているようでは、地震列島の住民として落第であろう。確率「8%弱」の土地で起きたのが4月の熊本地震だった。

▼2年前の予測に比べ、南海トラフ沿いの地域も確率が高まっているという。思い立ったときが「備えどき」と身辺を見回す機会としたい。〈新札でお釣りを返す店先の雨に備えた朱の傘五本〉西村真千子。過日の産経歌壇にこうあった。地震への備えも同じだろう。歌にある店のように慌てず騒がず、日頃からさりげなく備えたい。

▼命という温かな授かり物を守る。その作業に、確率論が入る余地などあるまい。

  
中日新聞
・ その昔、小学校の机は二人用だった。一つの机に二人が並んで使う。明治期の資料によると二人用の採用は経費上の判断なのだそうだが、これによって、過去の小学生は一人机の導入まで、不毛な領土争いに巻き込まれたとは大げさか

▼使った世代は覚えているか。あの机は境界がどうも不明瞭で、同席した子ども同士の口喧嘩(くちげんか)が起きやすい。「消しゴムが、はみ出ている」「足が(机の)地下の国境を越えた」。大人なら、ほぼ中央を境と見なし、互いに挑発しない知恵もあるが、あの年ごろではそうもいかぬ

▼深刻な境界の乱れや消失が問題の背景になっている。人間とクマの境界である。秋田県鹿角市で、男女四人が相次いでクマとみられる動物に襲われて亡くなった

▼いたましい事故のほかにも、今年は、東北地方で臆病なはずのツキノワグマの出没が目立っていると聞く

▼山村では過疎化などに伴い、耕作放棄地が増加し、かつて人とクマをうまく隔てていた中山間地帯が消えかかっている。人の生活圏とクマの生息地がじかに接しあるいは重なるようになり、悲劇につながっている。人とクマがあの机に座っている。事故はさらに増えるだろう

▼人里と山林の間の緩衝地帯をどう取り戻すか。それは農山村をどう再生させるかという人間の問題でもある。最近の若者の田園回帰の志向を聞かぬでもないが、その道は険しい。


新聞は、記事が事実、社説が説得、そして、コラムが驚き・発見

そういった人がいます。

なるほどそうでしょう。

特に、コラムは、尾括型。結論(オチ)を最後に持ってきています。

これに対して、ニュース記事は頭括型。最初に結論を述べます。

そう考えながら新聞を読むのも、楽しみの一つです。

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