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日本は「外国人排斥」を改めるべき 幼少時からの育成

2011-12-24 07:24:11 | 日本を見つめる世界の目
日本は「外国人排斥」を改めるべき 幼少時からの育成


日本人の本質的な問題点をチャイナネットが報道しています。

http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2011-12/22/content_24220460.htmからの引用です。

日本メディアは先ごろソウルで大規模な反日デモが行われたと報じた。参加者は日本の小中高校に韓国の末裔に対する侮辱的行為をやめるよう要求。実際、韓国人生徒が差別されるのは決して例外的なことではなく、現地の小学校では外国人生徒は多かれ少なかれこうした問題に直面している。外国人に対し偏見をもつ教師もいるという。彼らは外国人生徒の受け入れを拒否することはない、と公の場では言うものの、心底では「問題ある生徒」とのレッテルを貼っているのだ。『日本新華僑報』が伝えた。

事実、日本の小中高校での“外国人排斥”は決して個別の事例ではなく、周囲の環境あるいは社会的影響を受けているのは明らかだ。日本社会はそれ自身が大和民族という単一性を強調し、一種の外国文化排斥を信奉してきた。これも争う余地のない事実である

多くの外国人は、日本は自然環境が美しく、社会福祉も比較的完備された国だと考えている。だが、日本に生活する外国人はおおむね、1つの見えない壁を感じている。彼らの大半は社会の主流に融け込むことができず、程度の差こそあれ、それぞれが極めて大きな精神的プレッシャーを受けている。

総じて言えば、日本は外来の事物の受け入れには長じていても、移民を多く迎え入れると主張したことなどはない。成熟した「移民文化」が欠乏しているのだ。同時に、日本人も彼らの基準にそぐわない外国人を「嫌悪」しようとする。日本に行った後、かなり強い挫折感を味わった外国人もかなり多い。こんな分析がある。日本人は外国人を「外人」と呼ぼうとするが、それは中国語の「老外(外国人)」とは異なり、あなたは永遠に「自分」になることはできない、つまり、1本の鮮明な境界線がその表面に引かれているのですよ、ということを意味しているのだ。

日本人の血を引く移民の後世も、また例外ではない。08年にリーマン・ブラザーズが破綻し後、金融をめぐる大津波が世界を巻き込んだ。日本政府は本国にいる移民の後世、日系ブラジル人すべてをブラジルに帰還させるため資金を拠出してチケットを購入。このニュースは人々に奇異、驚きをもたらした。民主党が提出した外国人に参政権を与える法案も強い反対に遭い頓挫。日本社会にはびこる外国人排斥ムードはときに高まる傾向にあり、非常に憂慮される。

日本はすでに少子高齢化社会に突入。人口は年々減少、一部民間組織はより多くの外国人移民を受け入れるよう政府に訴え始めた。外国人が日本で生活する環境を改善しようと、長年にわたりたゆまぬ努力を続けている民間団体もある。例えば、日本人と外国人との交流活動を展開する、一部地方の国際交流センターで現地に住む外国人との座談会を開く、地方に留学生支援機構を設立する、留学生にさまざまな援助を提供するなど。だが、効果は限られているようだ。実際、外国人排斥は日本では一種の“文化”となっている。こうした不良文化を根絶するには、小中高生にそうした傾向があることに着眼したうえで、幼いころから平等の意識をもたせることが必要ではないか。今のところ、その道はまだ遠いが……。


外国人排斥があるとすれば、学校ではなく、社会全体ではないでしょうか?

学校内が最も平等に近い気がします。




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