4月9日は新聞休刊日なので昨日のコラムを紹介します。
毎日新聞
・ 昭和初期の世界恐慌は生糸の価格暴落を招き、養蚕業が盛んな日本の農山村に大きな打撃を与えた。長野県泰阜(やすおか)村でも財政が悪化し、ほかの町村に倣って学校の先生にも給与の一部を村へ寄付してもらうことにした
▲ 当時の泰阜北小学校の吉川宗一校長は考えた。「その場しのぎではなく、むしろそのお金を将来の教育振興に役立てるべきだ」。子供の情操教育のために美術館を建てたいという夢を持っていた
▲ 寄付が続々と集まり、美術品が増えたが、戦争で計画は中断した。小学校の裏山に念願の美術館ができたのは、構想から四半世紀たった1954年のことだ。その美術館も老朽化した。村は修復の資金を集めるために村内外からの寄付を呼びかけた
▲ 今でいうふるさと納税である。村は全国でその先駆けとなる「ふるさと思いやり基金条例」を2004年に施行した。返礼品はない。それでも、これまで600万円以上集まった。目標は1000万円だ
▲ 総務省はふるさと納税の返礼品を地場産品に限るよう自治体に求める通知を出した。寄付を減らさないために、地場産でないが人気のある品々を贈る自治体があるからだ。通知を知ってがっかりする人もいるだろうが、見返りだけを求めるふるさと納税は何だか寂しい
▲ 美術館建設をめざした吉川校長は子供たちのために「どんなに物がなく、生活が苦しくても、心だけは清らかで温かく豊かでありたい」という信念を貫いた。貧すれど貪(どん)せず。見返りを求めない真の教育者の姿だ。
日本経済新聞
・ 究極の暇つぶしだろう。スマホ「iPhone」のカレンダーを、先へ先へとスクロールしていく遊びだ。西暦2050年、2100年、ついに3000年……。繰っても繰ってもキリがない。西暦5000年にたどりついたら、その年のきょうは火曜日だとわかった。
▼ SF小説の舞台のような、そんな未来だって曜日はハッキリしているのに来年~再来年のニッポンの祝日はややこしい。まず来年は皇太子さまが5月1日の即位の前に誕生日を迎え、いまの陛下の誕生日は退位後だから天皇誕生日の祝日なし。そのかわり、というべきか即位の当日は休みになりそうだが本決まりではない。
▼ 秋に予定される「即位の礼」の日も休みとなれば、ずいぶん異例の年だ。と思っていたら、東京五輪開催の再来年がまた大変である。つまり「海の日」を開会式の前日に、10月の「体育の日」をうんと前倒しして開会式の当日に持ってくる。さらには「山の日」を閉会式翌日に移す。こんな祝日大移動計画が浮かんでいる。
▼ 祝日や休日をつくったり動かしたりのやり繰りをみると、来年から再来年にかけての世の慌ただしさが頭に浮かぶ。かくなるスケジュールのなかで政治経済は……と思いをいたすが、こちらのカレンダーはいよいよ不確かだ。iPhoneをいじれば10年くらいひとっ飛び。無機質な数字と曜日に潜む近未来の図は、さて。
産経新聞
・ テレビ用に毎日3分ほどの作品を作りたい。原作は4コマ漫画、アニメーションの巨匠と呼ばれるあの人なら、映像化は造作もなかろう。いつもの定食を頼むような口ぶりで、スタジオジブリ代表の鈴木敏夫さんは企画を高畑勲監督に投げてみた。
▼ 絵は質朴な線描画、主役は平凡な5人家族、題材は何げない日常だった。「長編になるかも」の返答に面食らったのは鈴木さんである。なぜ長編に。「だって、『家族』を扱っていますよね」。高畑作品の機微に触れる思いがしたと、鈴木さんが自著に書いている。
▼ 漫画は立派なアニメ映画になった。平成11年公開の『ホーホケキョ となりの山田くん』である。「土地は私の名義でっせ」と母がとがれば、「お言葉ですが、この家は僕が建てたんです」と娘婿がやり返す。既視感を伴う会話に微苦笑を誘われた人も多いだろう。
▼ 82歳で他界した高畑さんの事跡をたどると、アニメ化には不向きとみられる題材にあえて挑んだとの印象が強い。SFの驚嘆も劇画的演出も多くはない。「物語の世界をいかに信じうるものにするか、というリアリティの確保」に腐心したと昔日のエッセーにある。
▼ 母子の情愛に迫った『母をたずねて三千里』があり、死と隣り合わせの戦争の無情を描く『火垂(ほた)るの墓』があった。後輩の宮崎駿監督とともに世に問い続けた作品群の底には、見る者の感情を揺する繊細な何かが流れている。いつまでも作品が古びぬゆえんである。
▼ 『となりの山田くん』は労作だったらしい。宣伝文句は「制作は順調に遅れています」だった。一コマたりとも細部まで手を抜けない高畑さんらしい挿話である。タイトルを聞けば映像が浮かぶ。高畑作品を親として育った、そんな人も多かろう。
中日新聞
・ 遠い昔に撮影した家族写真。これと同じ場所、構図で同じ家族を撮影して、二枚を並べてみる。たとえば、赤ちゃんを抱っこした若いお父さんの写真。それが今の写真では、ひげづらの大男に渋い顔でお年を召したお父さんが、抱きついている。噴き出す
▼ 「THEN(あの時) AND NOW(今)フォト」とか「タイムスリップ写真」というそうだ。写真の変化が楽しい。その上、この家族にも二枚の写真の間には泣いたり笑ったりの日々があったにちがいないことを想像すれば、少々感じ入ったりもする
▼ 「あの時」に使った写真フィルムが消えかかっている。富士フイルムは一九三六年から販売している白黒フィルムの出荷を今年十月をもって終了すると発表した
▼ デジタル写真の時代にフィルム、ましてや白黒となれば、やむを得ない時代の流れか。最近では見向きもしなかったくせに出荷終了と聞き、とたんに寂しくなる
▼ 出荷のピークは六〇年代。その世代の方ならば、どなたにも大切な白黒フィルムの家族写真があるだろう。白黒にはカラーにない味と思い出を増幅させる色がある
▼ 「カラーで人を撮ると服を撮ることになる。白黒で人間を撮ると魂が撮れる」。カナダの写真家テッド・グラント氏の言葉という。白黒フィルムを製造する企業は他にもあり、完全に消えるわけではないが、色あせぬことを祈る。
※ 限られた文字数の中に、主題を入れ、ちょっとしたユーモアを入れ、落ちを入れる。
これは文才がなければできません。
まずは読むこと。
そして面白さの原因を考えること。
その繰り返しがセンスを磨くことになるのでしょう。
もう一度読み返そう・・・。
毎日新聞
・ 昭和初期の世界恐慌は生糸の価格暴落を招き、養蚕業が盛んな日本の農山村に大きな打撃を与えた。長野県泰阜(やすおか)村でも財政が悪化し、ほかの町村に倣って学校の先生にも給与の一部を村へ寄付してもらうことにした
▲ 当時の泰阜北小学校の吉川宗一校長は考えた。「その場しのぎではなく、むしろそのお金を将来の教育振興に役立てるべきだ」。子供の情操教育のために美術館を建てたいという夢を持っていた
▲ 寄付が続々と集まり、美術品が増えたが、戦争で計画は中断した。小学校の裏山に念願の美術館ができたのは、構想から四半世紀たった1954年のことだ。その美術館も老朽化した。村は修復の資金を集めるために村内外からの寄付を呼びかけた
▲ 今でいうふるさと納税である。村は全国でその先駆けとなる「ふるさと思いやり基金条例」を2004年に施行した。返礼品はない。それでも、これまで600万円以上集まった。目標は1000万円だ
▲ 総務省はふるさと納税の返礼品を地場産品に限るよう自治体に求める通知を出した。寄付を減らさないために、地場産でないが人気のある品々を贈る自治体があるからだ。通知を知ってがっかりする人もいるだろうが、見返りだけを求めるふるさと納税は何だか寂しい
▲ 美術館建設をめざした吉川校長は子供たちのために「どんなに物がなく、生活が苦しくても、心だけは清らかで温かく豊かでありたい」という信念を貫いた。貧すれど貪(どん)せず。見返りを求めない真の教育者の姿だ。
日本経済新聞
・ 究極の暇つぶしだろう。スマホ「iPhone」のカレンダーを、先へ先へとスクロールしていく遊びだ。西暦2050年、2100年、ついに3000年……。繰っても繰ってもキリがない。西暦5000年にたどりついたら、その年のきょうは火曜日だとわかった。
▼ SF小説の舞台のような、そんな未来だって曜日はハッキリしているのに来年~再来年のニッポンの祝日はややこしい。まず来年は皇太子さまが5月1日の即位の前に誕生日を迎え、いまの陛下の誕生日は退位後だから天皇誕生日の祝日なし。そのかわり、というべきか即位の当日は休みになりそうだが本決まりではない。
▼ 秋に予定される「即位の礼」の日も休みとなれば、ずいぶん異例の年だ。と思っていたら、東京五輪開催の再来年がまた大変である。つまり「海の日」を開会式の前日に、10月の「体育の日」をうんと前倒しして開会式の当日に持ってくる。さらには「山の日」を閉会式翌日に移す。こんな祝日大移動計画が浮かんでいる。
▼ 祝日や休日をつくったり動かしたりのやり繰りをみると、来年から再来年にかけての世の慌ただしさが頭に浮かぶ。かくなるスケジュールのなかで政治経済は……と思いをいたすが、こちらのカレンダーはいよいよ不確かだ。iPhoneをいじれば10年くらいひとっ飛び。無機質な数字と曜日に潜む近未来の図は、さて。
産経新聞
・ テレビ用に毎日3分ほどの作品を作りたい。原作は4コマ漫画、アニメーションの巨匠と呼ばれるあの人なら、映像化は造作もなかろう。いつもの定食を頼むような口ぶりで、スタジオジブリ代表の鈴木敏夫さんは企画を高畑勲監督に投げてみた。
▼ 絵は質朴な線描画、主役は平凡な5人家族、題材は何げない日常だった。「長編になるかも」の返答に面食らったのは鈴木さんである。なぜ長編に。「だって、『家族』を扱っていますよね」。高畑作品の機微に触れる思いがしたと、鈴木さんが自著に書いている。
▼ 漫画は立派なアニメ映画になった。平成11年公開の『ホーホケキョ となりの山田くん』である。「土地は私の名義でっせ」と母がとがれば、「お言葉ですが、この家は僕が建てたんです」と娘婿がやり返す。既視感を伴う会話に微苦笑を誘われた人も多いだろう。
▼ 82歳で他界した高畑さんの事跡をたどると、アニメ化には不向きとみられる題材にあえて挑んだとの印象が強い。SFの驚嘆も劇画的演出も多くはない。「物語の世界をいかに信じうるものにするか、というリアリティの確保」に腐心したと昔日のエッセーにある。
▼ 母子の情愛に迫った『母をたずねて三千里』があり、死と隣り合わせの戦争の無情を描く『火垂(ほた)るの墓』があった。後輩の宮崎駿監督とともに世に問い続けた作品群の底には、見る者の感情を揺する繊細な何かが流れている。いつまでも作品が古びぬゆえんである。
▼ 『となりの山田くん』は労作だったらしい。宣伝文句は「制作は順調に遅れています」だった。一コマたりとも細部まで手を抜けない高畑さんらしい挿話である。タイトルを聞けば映像が浮かぶ。高畑作品を親として育った、そんな人も多かろう。
中日新聞
・ 遠い昔に撮影した家族写真。これと同じ場所、構図で同じ家族を撮影して、二枚を並べてみる。たとえば、赤ちゃんを抱っこした若いお父さんの写真。それが今の写真では、ひげづらの大男に渋い顔でお年を召したお父さんが、抱きついている。噴き出す
▼ 「THEN(あの時) AND NOW(今)フォト」とか「タイムスリップ写真」というそうだ。写真の変化が楽しい。その上、この家族にも二枚の写真の間には泣いたり笑ったりの日々があったにちがいないことを想像すれば、少々感じ入ったりもする
▼ 「あの時」に使った写真フィルムが消えかかっている。富士フイルムは一九三六年から販売している白黒フィルムの出荷を今年十月をもって終了すると発表した
▼ デジタル写真の時代にフィルム、ましてや白黒となれば、やむを得ない時代の流れか。最近では見向きもしなかったくせに出荷終了と聞き、とたんに寂しくなる
▼ 出荷のピークは六〇年代。その世代の方ならば、どなたにも大切な白黒フィルムの家族写真があるだろう。白黒にはカラーにない味と思い出を増幅させる色がある
▼ 「カラーで人を撮ると服を撮ることになる。白黒で人間を撮ると魂が撮れる」。カナダの写真家テッド・グラント氏の言葉という。白黒フィルムを製造する企業は他にもあり、完全に消えるわけではないが、色あせぬことを祈る。
※ 限られた文字数の中に、主題を入れ、ちょっとしたユーモアを入れ、落ちを入れる。
これは文才がなければできません。
まずは読むこと。
そして面白さの原因を考えること。
その繰り返しがセンスを磨くことになるのでしょう。
もう一度読み返そう・・・。