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【アウグスティヌス】西洋哲学史 中世哲学解説【教父哲学】/哲学チャンネル

2021-05-30 06:10:25 | 哲学の窓

哲学チャンネルより 【アウグスティヌス】西洋哲学史 中世哲学解説【教父哲学】を紹介します。

ここから https://www.youtube.com/watch?v=8QOkgehRSJg

とっつきづらい哲学や心理学の内容を、出来るだけわかりやすく完結に お伝えすることを目的としたチャンネルです。 
 
​【関連した過去動画】 【プロティノス】西洋哲学史 ヘレニズム哲学解説【新プラトン主義】 https://youtu.be/0D4zsqM2x6k 【オススメ書籍】 告白 I (中公文庫) https://amzn.to/3cNHjK3 とっつきづらい哲学や心理学の内容を、出来るだけわかりやすく完結に お伝えすることを目的としたチャンネルです。 チャンネル登録、高評価、拡散、ぜひぜひ宜しくお願いいたします。 Twitter https://twitter.com/tetsugaku_ch ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・アウグスティヌスの生涯 アウグスティヌスはキリスト教徒の母と異教徒の父との子として 北アフリカのタガステに生まれました。 若い頃から様々な学問を学び、その後はローマ、ミラノ、北アフリカのヒッポなど 様々な場所で活動をしました。 元々はマニ教の信者でしたが、その後新プラトン主義に出会い、 それらを知るうちにマニ教に幻滅し、キリスト教に回心します。 ミラノからアフリカに帰った折、 アウグスティヌスは息子や仲間と修道院で生活をしますが、 その際に生活規範として定めた規則は『アウグスティヌスの戒則』と呼ばれ 後のキリスト教修道会規則の一つになりました。 アウグスティヌスは教父という立場でしたが、 これはキリスト教の正しさを説く役割で、 そのために宗教を論理的に分析し発信する必要がありました。 これが、宗教と哲学が融合し始める大きな要因になったのです。 ・照明説 アウグスティヌスは神は確かに存在する。ということを 神と魂の関係性に見出そうとしました。 そして、人間の認識に着目し、こんな理論を打ち立てます。 我々は何かについて判断することがある。 判断するという営みは自分の中で明らかに実感できることだから まず前提として自分自身は存在していると確かに言うことが出来る。 何かを判断するとき、どのようにしているかというと 自分の中になんらかの『真理』が存在していて それと比較することで判断することができている。 自分の中にある真理は永遠に不変の存在で その真理はモノが光に照らされて初めて見えるように 神の光に照らされて初めて認識することが出来る。 つまり、人間は神の光の照明によって、真理を認識し、 その真理に照らし合わせることで物事を判断している。 この考え方を【照明説】と言います。 これはまさにプラトンの【イデア論】と同じような考え方ですね。 物事を認識するには物事自体という概念が必要であり、 その概念はどこから出てきたのかというと、 神的な存在から出てくるとしか考えられない。 よって神的なものは存在するよね。という考え方です。 ここからも、アウグスティヌスが新プラトン主義の 影響を受けていることが見て取れます。 ・時間論 また、アウグスティヌスは時間への考察から、 神と時間の関係性についても述べました。 時間は過去・現在・未来の3つに分けることが出来る。 しかし過去は過ぎ去っていて、未来はまだ来ていないので 実際にはどちらも存在しない。 ではなぜ過去と未来を人間が認識できるのかというと、 過去は記憶として、未来は期待として人間の意識の中にあるからだ。 記憶と期待を持つのは間違いなく自分自身である。 ということは、時間は人間の外にあるものではなく、 人間の意識の中にあるものだと言える。 人間は神によって創造されたのだから、その人間の中にしか 存在しない時間も神によって創造されたと言える。 確かに、同じ過去でも人によってその記憶は曖昧で、 仮にその過去を具現化できたとして、 きっとそれぞれの人によって微妙に違う過去が具現化されてしまうはずです。 つまり、明確な過去なんてものはこの世には存在せず、 それぞれの人の中に存在していると考えた方が自然ですね。 仮に神が人を作ったのであれば、時間も同様だという理論には納得がいきます。 このように、アウグスティヌスは教父としての立場から 様々な角度で、物事と神の関係性を証明し、 それによって神の威厳を高めていったのです。 ・自由意志 神はなぜ人間に自由意志を与えたのか? 人間に自由意志を与えなければ悪事を働くことなんてしないし、 世の中はもっと平和だったはずなのに。 全能の神がなんでそんなことをしたのか? これは当時非常にナイーブな問題だったはずです。 アウグスティヌスはここについても明解な理論を提示します。 『悪の被害者になる』についてはその原因は神の天罰だが、 『悪を働く』のは人間によるものである。 人間は本来、理性によって欲望を支配しなければならないが 自由意志があるため、欲望に支配されてしまい、悪事を働く。 ではなぜ自由意志があるのかというと、 自由意志は【中間の善】であり、悪事の原因にもなり得るが 正しい行いの原因にもなりうるものだからである。 そして人間はキリスト教の教えによると原罪を背負っていて 自由意志を正しい行いに使用することができない。 自由意志を正しい行いに使用するために必要なのが、 神の恩寵であり、恩寵があって初めて正しい行いができるようになる。 語弊を恐れずに解釈すると、 人間が正しい行いをするためには神の恩寵に預かることが不可欠で、 そのためには信仰をしなければならない。 そうでないと必然的に悪に染まることになってしまう。 そもそも人間は正しい行いをするために作られているはずだから、 正しい行いをするために信仰が必要だということは、 人間は信仰をするものだと言い換えることもできるわけですね。 そういうシステムを神が作ったんだよと言う。 無宗教な多くの日本人にとってはちょっと理解し難い部分があると思いますが、 このような考え方は当時、強烈に支持されたと言います。 そして、このような思想が、キリスト教の布教に大きな影響を与えたのは 言うまでもありませんね。 アウグスティヌスのこのような思想は、カトリック教会の教理の基本となるばかりか 中世の神学者トマス・アクィナスへ引き継がれ、 またずっと後の大哲学者、ニーチェやショーペンハウアーにも大きな影響を与えました。
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