1月2日は新聞休刊日なので、元日のコラムを紹介しましょう。
朝日新聞
・ 天声人語
雑煮は心に根ざした食べ物である。土地土地、家々に流儀があって、こればかりは他家や他郷のでは駄目という人が、このご時世にも多い。自慢しあうことはあっても、よそをまねて作る話はあまり聞かない▼俳優で演出家だった芥川比呂志に雑煮の随筆がある。芥川家では具が野菜だけの質素な仕立てが受け継がれてきた。一時鶏肉を入れてみたが、すぐにやめたという。「野菜だけのほうが、正月の朝が、静かに落ち着くのであった」。一椀(ひとわん)への愛着、おいそれとは捨てられない▼年あらたまる淑気のなか、「わが家の雑煮」に一族再会をかみしめる方もおられよう。人が往(い)き来してむつまじくするゆえに正月を睦月(むつき)と呼ぶそうだ。水入らずの団欒(だんらん)を、外の寒さが引き立てる▼かつて津々浦々に、その地ならではの雑煮を生む風土と暮らしがあった。だが戦後の日本は、多彩で懐の深い「地方」を踏み台に、都市中心の繁栄を築いてきた。災厄が呼びさました悔恨の一つだろう▼青森出身の寺山修司が言っていた。「今日では、標準語は政治経済を語ることばになってしまった。人生を語るのには、もう方言しか残っていない」と。思えば過疎地に原発を林立させてきたのも「標準語で語られる政治と経済」ではなかったか▼そして今、「グローバル化」という世界標準語が、妖怪のように地球を席巻する。栄華と便利は幸せと同義ではなかった。それを知って、さあどの方向へ歩むのか? 辰(たつ)年の空から小さき問いが聞こえてくる。
読売新聞
・ 編集手帳
机の上に吸い飲みが置いてある。急須型をしたガラス製の中古品で、アルミの蓋が付いている。年の瀬の街で雑貨屋の店先に見つけ、高いのか安いのか、見当のつかない値段で買った◆ペットボトルの水やお茶が今ほどは身近でなかった子供の頃、風邪をひいて寝込むと、枕もとの吸い飲みで熱い喉を湿した。洗濯バサミのお化けのような金具で口を留めるゴム製の水枕とともに、昔懐かしい品である◆〈ふるさとへ廻(まわ)る六部は気の弱り〉。諸国をめぐる巡礼(六部)も寄る年波に知らず知らず、故郷に足が向くという。幼年期の記憶という心のふるさとに意識が向かうのも、あるいは気の弱りかも知れない◆思えば、年齢にかかわらず、誰も彼もが何十年分もの悲しみを背負い、気の弱りを互いの掛け声で励ましつつ迎えた新年だろう。雑煮の味に、しめ飾りに、コタツの上のミカンひとつにさえ、いつにまして遠い記憶を呼び覚まされる元日に違いない◆ガラスの吸い飲みは、子供の頃に絵本で見た“魔法のランプ”にどこか似ている。ぜいたくは望まない。「ありふれた、心静かな年を」と、そっと撫(な)でてみる。
毎日新聞
・ 余録:お正月さまござった ゆらゆらござった…
「お正月さまござった ゆらゆらござった ゆずり葉にのって ゆらゆらござった」。お正月が来たのを喜ぶわらべうたである。この歌は各地にあり、東京ではこうだ。「お正月がごーざった どこまでごーざった 神田までごーざった……」▲お正月さまとは新年にそれぞれの家に来訪する年神である。「正月さまはどちらまで 磐梯山のかげまで 何をみやげにもって来る 木片(こっぱ)のような餅もって 雪のような米もって 笹(ささ)のような魚(とど)もって 弓の矢を腰に差し 羽子をつきつきござる」。福島県のものだ▲田の神とも、ご先祖の霊ともされる年神さまだが、年齢を数え年で表した昔はすべての人に年を一つもたらしてくれる神だった。今は子供へのおこづかいを示すお年玉も、往時は年神さまがみなに等しく分け与えてくれる「歳魂(としだま)」にちなむ正月の贈り物だったという▲過ぐる年、震災と原発事故の未曽有の複合災害に苦しんだ列島にもお正月さまは訪れ、人々に新しい年がもたらされた。2012年、深まる国内の閉塞(へいそく)感に加え、世界的な経済不安、政治リーダーの交代など、ややもすれば「問題」という言葉とともに論じられる年だ▲未来は不確実性の霧に隠れ、時代の方向感覚が失われたような新年である。だが私たちにとって今、お正月の喜びを歌う子供らこそが未来そのものだ。その子らに何を受け渡し、どんな価値や理想を伝えればいいのか。こんな問いから時を刻み直してはどうだろう▲それぞれに分け与えられる新しい歳魂をしっかり受け取り、子供たちに引き渡す未来への時の流れをよみがえらせる。そんなお正月になったらいい。
日本経済新聞
・ 春秋
混沌と混乱は違う。そう言ったのは作家の堀田善衛だ。「混沌というのは、何か充実した、力にみちたものという感じがある。けれども混乱というのは、それ自体に物を生み出す力がない、前にも後にもつながらない」。60年ほど前のある対談での発言である。
▼それぞれの時代の混沌を表現するのが文学なのに、歴史は文学が材料にしてきた現実を扱っていない、と堀田は嘆き、続けた。「歴史がね、政治家や権力者なんかがズラズラ出てくるだけのものだったりしては、たまらんじゃないか」。そうした言葉を、目に焼きついたいくつかの光景と重ねつつ、新年を迎える。
▼混乱に立ちすくむ姿と混沌に立ち向かう姿。ことしもきっと、そんな二重写しが連なって流れていく。ただひとつ、こうは言えるだろう。政治家や権力者だけが登場する歴史などもうありはしない。どこを見たって、混沌と対決するのは一人びとりとしか呼びようのない人たちなのだから。
▼「少し破ける、少し弾ける」。稽古で仕上げたネタを高座にかけるときの心得を、上方落語の桂枝雀はノートにこう記していたそうだ。「少し」が肝心で、そうでないと無理が生まれる。年をまたぐ心得もまた、「少し破ける。少し弾ける」でありたいと思う。混乱でなく、混沌の中で歩を進めるために。
産経新聞
・ 産経抄
ちょうど70年前となる昭和17年、日本は米国との戦争に突入して初めての正月を迎えた。真珠湾攻撃で大きな戦果をあげたとはいえ、人々の心がどこか重たかったのは当然だ。喜劇俳優の古川ロッパも元日の日記に「さて正月の気分まるで無し」と書いている。
▼文才にも恵まれたロッパは、戦時中も含め詳細な「昭和日記」を残した。この日は続けて「屠蘇、雑煮の味も昔のやうにしみ●しない。新聞も戦争の写真ばかり」とグチっている。恒例の正月公演では灯火管制のため懐中電灯持参だったという。
▼それでもまだ、さほど深刻な雰囲気はなかった。有楽町は「大した混雑」で、ロッパも公演での高峰秀子の演技をほめる余裕を見せる。しかし3年後の昭和20年になるともう敗色濃厚である。正月公演もこの年から禁止され、自宅でプー(空襲警報の音)におびえることになる。
▼仕方なく夕方から酒を飲み始めるが「電気は暗いし御馳走はなし。プーと来さうだし、まことに陰々滅々たる元日」だったらしい。以上いささかロッパの日記にこだわり過ぎた。今年の正月が心の引っかかりという点で、あの戦時下と似通っているように思えたからだ。
▼むろん10カ月前の大震災のためである。被災地の惨状を思って、今年は年賀状に「おめでとうございます」と書かなかった人も多いという。毎年、自宅に大勢の議員を集め権勢を誇示してきた民主党の小沢一郎氏も、その新年会を中止するそうだ。
▼だが明瞭に異なることもある。戦時下には出口が全く見えない中での暗い正月だった。それに比べ今年は、復興を目指し一歩も二歩も前へ進む年である。その願いを込めて「明けまして」と声をかけ合いたい。
●=くの字の上に点(濁点)
中日新聞
・ 中日春秋
二〇一二年が明けました。今年も、小欄とのおつきあいのほど、よろしくお願いします
▼さて、正月というと、よく持ち出される名句に、虚子の<去年(こぞ)今年貫く棒の如(ごと)きもの>があるが、これほどそれを実感する年初もない。大震災から十カ月近くになるが、被災地の復興、未(いま)だし。年があらたまったといっても、その影響が去年から今年を棒の如く貫いている
▼かてて加えて、歴史的円高やユーロ危機の側杖(そばづえ)など、日本経済にブレーキをかける<棒>にも貫かれた去年今年である。今年の干支(えと)は辰(たつ)で、動物でいえば竜。もとより架空の動物だが、どうかこの国の運気も雲を得て天に昇る竜にあやかりたいものだ
▼竜といえば、南方熊楠『十二支考』で、「思抱」なる言葉に出合った。喉(のど)の下に<逆鱗(げきりん)>があるなど、竜の特徴を述べた古い書物に<竜は卵生にして思抱す>とあるそうだ。それは<親が、卵ばかりを思い詰める力で、卵が隔たった所にありながら孵(かえ)り育つ事>という
▼「3・11」の災禍は、原発事故などで日本の「弱さ」をあぶりだしたが、同時に、「強さ」も思い出させてくれた気がする。人が、モノやカネではなく、人を思うことで生じる力、とでもいえばいいか
▼日本再生は今年こそが正念場。窮地の中にも既に復活の種は胚胎している。人々がそれを思い詰める力で「希望」という卵を孵す年にしたい。
朝日新聞
・ 天声人語
雑煮は心に根ざした食べ物である。土地土地、家々に流儀があって、こればかりは他家や他郷のでは駄目という人が、このご時世にも多い。自慢しあうことはあっても、よそをまねて作る話はあまり聞かない▼俳優で演出家だった芥川比呂志に雑煮の随筆がある。芥川家では具が野菜だけの質素な仕立てが受け継がれてきた。一時鶏肉を入れてみたが、すぐにやめたという。「野菜だけのほうが、正月の朝が、静かに落ち着くのであった」。一椀(ひとわん)への愛着、おいそれとは捨てられない▼年あらたまる淑気のなか、「わが家の雑煮」に一族再会をかみしめる方もおられよう。人が往(い)き来してむつまじくするゆえに正月を睦月(むつき)と呼ぶそうだ。水入らずの団欒(だんらん)を、外の寒さが引き立てる▼かつて津々浦々に、その地ならではの雑煮を生む風土と暮らしがあった。だが戦後の日本は、多彩で懐の深い「地方」を踏み台に、都市中心の繁栄を築いてきた。災厄が呼びさました悔恨の一つだろう▼青森出身の寺山修司が言っていた。「今日では、標準語は政治経済を語ることばになってしまった。人生を語るのには、もう方言しか残っていない」と。思えば過疎地に原発を林立させてきたのも「標準語で語られる政治と経済」ではなかったか▼そして今、「グローバル化」という世界標準語が、妖怪のように地球を席巻する。栄華と便利は幸せと同義ではなかった。それを知って、さあどの方向へ歩むのか? 辰(たつ)年の空から小さき問いが聞こえてくる。
読売新聞
・ 編集手帳
机の上に吸い飲みが置いてある。急須型をしたガラス製の中古品で、アルミの蓋が付いている。年の瀬の街で雑貨屋の店先に見つけ、高いのか安いのか、見当のつかない値段で買った◆ペットボトルの水やお茶が今ほどは身近でなかった子供の頃、風邪をひいて寝込むと、枕もとの吸い飲みで熱い喉を湿した。洗濯バサミのお化けのような金具で口を留めるゴム製の水枕とともに、昔懐かしい品である◆〈ふるさとへ廻(まわ)る六部は気の弱り〉。諸国をめぐる巡礼(六部)も寄る年波に知らず知らず、故郷に足が向くという。幼年期の記憶という心のふるさとに意識が向かうのも、あるいは気の弱りかも知れない◆思えば、年齢にかかわらず、誰も彼もが何十年分もの悲しみを背負い、気の弱りを互いの掛け声で励ましつつ迎えた新年だろう。雑煮の味に、しめ飾りに、コタツの上のミカンひとつにさえ、いつにまして遠い記憶を呼び覚まされる元日に違いない◆ガラスの吸い飲みは、子供の頃に絵本で見た“魔法のランプ”にどこか似ている。ぜいたくは望まない。「ありふれた、心静かな年を」と、そっと撫(な)でてみる。
毎日新聞
・ 余録:お正月さまござった ゆらゆらござった…
「お正月さまござった ゆらゆらござった ゆずり葉にのって ゆらゆらござった」。お正月が来たのを喜ぶわらべうたである。この歌は各地にあり、東京ではこうだ。「お正月がごーざった どこまでごーざった 神田までごーざった……」▲お正月さまとは新年にそれぞれの家に来訪する年神である。「正月さまはどちらまで 磐梯山のかげまで 何をみやげにもって来る 木片(こっぱ)のような餅もって 雪のような米もって 笹(ささ)のような魚(とど)もって 弓の矢を腰に差し 羽子をつきつきござる」。福島県のものだ▲田の神とも、ご先祖の霊ともされる年神さまだが、年齢を数え年で表した昔はすべての人に年を一つもたらしてくれる神だった。今は子供へのおこづかいを示すお年玉も、往時は年神さまがみなに等しく分け与えてくれる「歳魂(としだま)」にちなむ正月の贈り物だったという▲過ぐる年、震災と原発事故の未曽有の複合災害に苦しんだ列島にもお正月さまは訪れ、人々に新しい年がもたらされた。2012年、深まる国内の閉塞(へいそく)感に加え、世界的な経済不安、政治リーダーの交代など、ややもすれば「問題」という言葉とともに論じられる年だ▲未来は不確実性の霧に隠れ、時代の方向感覚が失われたような新年である。だが私たちにとって今、お正月の喜びを歌う子供らこそが未来そのものだ。その子らに何を受け渡し、どんな価値や理想を伝えればいいのか。こんな問いから時を刻み直してはどうだろう▲それぞれに分け与えられる新しい歳魂をしっかり受け取り、子供たちに引き渡す未来への時の流れをよみがえらせる。そんなお正月になったらいい。
日本経済新聞
・ 春秋
混沌と混乱は違う。そう言ったのは作家の堀田善衛だ。「混沌というのは、何か充実した、力にみちたものという感じがある。けれども混乱というのは、それ自体に物を生み出す力がない、前にも後にもつながらない」。60年ほど前のある対談での発言である。
▼それぞれの時代の混沌を表現するのが文学なのに、歴史は文学が材料にしてきた現実を扱っていない、と堀田は嘆き、続けた。「歴史がね、政治家や権力者なんかがズラズラ出てくるだけのものだったりしては、たまらんじゃないか」。そうした言葉を、目に焼きついたいくつかの光景と重ねつつ、新年を迎える。
▼混乱に立ちすくむ姿と混沌に立ち向かう姿。ことしもきっと、そんな二重写しが連なって流れていく。ただひとつ、こうは言えるだろう。政治家や権力者だけが登場する歴史などもうありはしない。どこを見たって、混沌と対決するのは一人びとりとしか呼びようのない人たちなのだから。
▼「少し破ける、少し弾ける」。稽古で仕上げたネタを高座にかけるときの心得を、上方落語の桂枝雀はノートにこう記していたそうだ。「少し」が肝心で、そうでないと無理が生まれる。年をまたぐ心得もまた、「少し破ける。少し弾ける」でありたいと思う。混乱でなく、混沌の中で歩を進めるために。
産経新聞
・ 産経抄
ちょうど70年前となる昭和17年、日本は米国との戦争に突入して初めての正月を迎えた。真珠湾攻撃で大きな戦果をあげたとはいえ、人々の心がどこか重たかったのは当然だ。喜劇俳優の古川ロッパも元日の日記に「さて正月の気分まるで無し」と書いている。
▼文才にも恵まれたロッパは、戦時中も含め詳細な「昭和日記」を残した。この日は続けて「屠蘇、雑煮の味も昔のやうにしみ●しない。新聞も戦争の写真ばかり」とグチっている。恒例の正月公演では灯火管制のため懐中電灯持参だったという。
▼それでもまだ、さほど深刻な雰囲気はなかった。有楽町は「大した混雑」で、ロッパも公演での高峰秀子の演技をほめる余裕を見せる。しかし3年後の昭和20年になるともう敗色濃厚である。正月公演もこの年から禁止され、自宅でプー(空襲警報の音)におびえることになる。
▼仕方なく夕方から酒を飲み始めるが「電気は暗いし御馳走はなし。プーと来さうだし、まことに陰々滅々たる元日」だったらしい。以上いささかロッパの日記にこだわり過ぎた。今年の正月が心の引っかかりという点で、あの戦時下と似通っているように思えたからだ。
▼むろん10カ月前の大震災のためである。被災地の惨状を思って、今年は年賀状に「おめでとうございます」と書かなかった人も多いという。毎年、自宅に大勢の議員を集め権勢を誇示してきた民主党の小沢一郎氏も、その新年会を中止するそうだ。
▼だが明瞭に異なることもある。戦時下には出口が全く見えない中での暗い正月だった。それに比べ今年は、復興を目指し一歩も二歩も前へ進む年である。その願いを込めて「明けまして」と声をかけ合いたい。
●=くの字の上に点(濁点)
中日新聞
・ 中日春秋
二〇一二年が明けました。今年も、小欄とのおつきあいのほど、よろしくお願いします
▼さて、正月というと、よく持ち出される名句に、虚子の<去年(こぞ)今年貫く棒の如(ごと)きもの>があるが、これほどそれを実感する年初もない。大震災から十カ月近くになるが、被災地の復興、未(いま)だし。年があらたまったといっても、その影響が去年から今年を棒の如く貫いている
▼かてて加えて、歴史的円高やユーロ危機の側杖(そばづえ)など、日本経済にブレーキをかける<棒>にも貫かれた去年今年である。今年の干支(えと)は辰(たつ)で、動物でいえば竜。もとより架空の動物だが、どうかこの国の運気も雲を得て天に昇る竜にあやかりたいものだ
▼竜といえば、南方熊楠『十二支考』で、「思抱」なる言葉に出合った。喉(のど)の下に<逆鱗(げきりん)>があるなど、竜の特徴を述べた古い書物に<竜は卵生にして思抱す>とあるそうだ。それは<親が、卵ばかりを思い詰める力で、卵が隔たった所にありながら孵(かえ)り育つ事>という
▼「3・11」の災禍は、原発事故などで日本の「弱さ」をあぶりだしたが、同時に、「強さ」も思い出させてくれた気がする。人が、モノやカネではなく、人を思うことで生じる力、とでもいえばいいか
▼日本再生は今年こそが正念場。窮地の中にも既に復活の種は胚胎している。人々がそれを思い詰める力で「希望」という卵を孵す年にしたい。