ものづくり中部の革新者たちⅢ より 立川勇次郎を紹介します。
去る2022(令和4)年9月10日(土)に名古屋都市センター(金山南ビル内) 11階「まちづくり広場・企画展示コーナー」で行われた、第17回パネル展 での学びを振り返ります。
ここから http://csih.sakura.ne.jp/panerutenn.html
今回は、立川勇次郎 電気・電鉄事業に情熱を燃やした男 大垣の工業都市化を推進
立川勇次郎 (1862 1925)
1. 革新実業家 (10)
電気 電鉄事業に情熱を燃やした男-大垣の工業都市化を推進一
■生い立ちから関東での活躍
立川勇次郎は、 1862 (文久2) 年、 美濃国大垣藩 (現岐阜県大垣市) の藩士・清水垣右衛門の次男として生まれた。 1881 (明治14) 年、19歳のときに立川清助の養子となった。 弁護士の資格を取り名古屋において開業していたが、 1886年に産業・社会の近代化が進むなか実業家の道を決意し、 上京して電鉄及び電力の企業化を目標とした。
立川は、関東で最初の電気鉄道である1904(明治37) 年に大師電気鉄道(後の京浜急行電鉄) を開業し、専務取締役として経営の任にあたった。 また、電鉄事業のほかにも1898年に東京白熱電灯製造 (後の東京芝浦電気) の取締役として経営に参加し、 電球・電気機器の製造普及にも努めた。
■揖斐川電力株式会社と養老鉄道株式会社の創立
明治末期ころに、 岐阜県大垣では各産業にエネルギーを供給する電力会社を設立し、 それを基に大企業の紡績工場などを誘致しようという計画があった。 そこで、 起業の具体化を促進するために、当時業界で名高い有力者であった大垣出身である立川を経営者として迎え入れ、1912 (大正元)年に揖斐川電力株式会社 (現在のイビデン株式会社)を設立した。
揖斐川電力の最初の発電所は、 1915(大正4)年に完成した岐阜・ 福井県境の夜叉ヶ池を水源とする揖斐川支流の広瀬川の水を利用した揖斐郡久瀬村大字西横山にある西横山発電所である。 この発電所が完成したことによって、4000kwの電力供給が可能となり、大垣には摂津紡績大垣工場、 田中カーバイト工場が設置され、 揖斐川電力株式会社の電力は余裕がないほどに使用された。
また、立川は大垣の有志が地元振興策として1911(明治44)年に養老鉄道株式会社の創立に参画、 取締役社長に就任した。 養老鉄道は、 1913(大正2)年に大垣~ 池野 大垣~養老が完成して営業を始め、 1919年には池野~ 揖斐、 養老~桑名が開通し、総延長56kmの鉄道となった。 また、 養老鉄道は、 「軽便鉄道法」によって敷設され、当初は蒸気機関車で運行されたが、 1923年に全線電化を
行い、電車が運行されるようにもなり、 立川の電鉄事業にかける意欲をうかがえることができる。
1925(大正14)年に立川はこの世を去ったが、 電気・電鉄事業の先駆者であり、 大垣においては揖斐川電力株式会社や養老鉄道を設立し、この地方の工業化に多大な貢献を尽くした。
(入江隆亮)
ものづくり中部の革新者たちⅢ 第17回パネル展に行ってきました
2019年度 第15回パネル展 ものづくり中部の革新者たち
ものづくり中部の革新を支える 新たなみち
2018年度 第14回パネル展 モダン都市名古屋の形成
2017年度 第13回パネル展 中部における国産車のあゆみ
2016年度 第12回パネル展 東海の綿織物・毛織物と産業遺産
2015年度 第11回パネル展 東海の絹・文化と産業遺産
2014年度 パネル展と講演会 近代名古屋の発展と海外の関わり ~戦前の国際都市名古屋の形成~ PART2
2013年度 パネル展
石河正竜/ものづくり中部の革新者たちⅢ
鈴木久一郎/ものづくり中部の革新者たちⅢ
村松彦七/ものづくり中部の革新者たちⅢ
片倉兼太郎(初代)/ものづくり中部の革新者たちⅢ
岡谷惣助/ものづくり中部の革新者たちⅢ
片岡孫三郎/ものづくり中部の革新者たちⅢ
田中善助/ものづくり中部の革新者たちⅢ
今井五介/ものづくり中部の革新者たちⅢ
兼松 熙/ものづくり中部の革新者たちⅢ
立川勇次郎/ものづくり中部の革新者たちⅢ
【ものづくり】SCIENCE CHANNEL(JST)、ものづくり太郎チャンネル、Yamabiko Wood Art、トップランキング、Do You Know ? - S4、xT / 3D Creator、モノづくり面白いよ《 くらひと 》、Awesome Funny、NEX工業、ORIGINALMIND、Lesics 日本語、