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【墨子】中国思想解説#5【兼愛】【非攻】/哲学チャンネル

2021-08-15 06:10:17 | 哲学の窓

哲学チャンネルより 【墨子】中国思想解説#5【兼愛】【非攻】を紹介します。

ここから https://www.youtube.com/watch?v=XAP-mjyxJus

※関連した過去動画
【孔子①】中国思想解説#3【儒教】【論語】 https://youtu.be/d1zjKYT97YM
【孔子②】中国思想解説#4【仁】【礼】【徳治主義】 https://youtu.be/BIiJPLKr09w
※書籍 墨子 (中公クラシックス) https://amzn.to/3kamPOw
 
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動画の書き起こし版です。
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墨子についての情報は不明瞭なものが多く、 墨子の生い立ちはほとんど明らかにされていません。 活躍した時代は春秋時代と戦国時代の間あたりと言われており、 ちょうど孔子の死後しばらくした頃だと思われます。 『墨』という字から、墨を使っていた土木業者の出か、 はたまた刺青の入った罪人だったか?などの説がありますが、 高官になった記述があるので、それなりの身分だったと考えられています。 出身地についても『魯』『楚』『宋』などの説があり、 インド人だったのではないか?と言われていた時代もありました。 間違いないのは、墨子を祖とする墨家は、 戦国時代においてかなり流行っていたことです。 韓非子によると『世の顕学は儒墨なり』とあります。 つまり韓非の生きた戦国時代後期においては 儒家と墨家の二代思想が世の中を席巻していたのです。 墨家の思想がそれほどまでに受け入れられたのには理由があります。 墨家は【非攻】を謳っていました。 自国で人を一人殺せば死刑になるのに、 戦争で人を殺すと英雄として祭り上げられるのは矛盾である。 このような考えから、墨子をはじめとした墨家は侵略戦争に反対します。 墨家が特徴的なのは、非戦の思想だけを掲げるのではなく、 小国が大国に攻められてしまったときのための 防衛戦のノウハウと、専用部隊を抱えていることでした。 つまり、墨家の主な活動とは 大国には侵略戦争をしないように説得してまわり、 小国が侵略戦争を仕掛けられると部隊を貸し出して防衛戦の手伝いをする。 というものだったのです。 しかも、小国に部隊を貸し出す際に、報酬は受け取りませんでした。 それどころか、墨家の三代目と言われる孟勝のときには 楚の侵略から小国を守るために部隊を貸し出し防衛戦を行ったものの 防衛に失敗してしまいました。 その際、責任を取るために部隊400名で集団自決をしたという話もあります。 墨家の思想は、戦時中の諸侯に対してはすこぶる評判が悪いものでした。 時代は戦国時代。国と国がしのぎを削る世の中において 『他国に対しても愛を持って接しましょう』 そんな思想は、戯言として切り捨てられてしまったのでしょう。 一方で、その精神性は民衆に強烈に受け入れられました。 墨子をはじめとする墨家の思想は『十論』としてまとめられています。 その中でも代表的な思想が【兼愛交利】です。 ここにおいて墨子は孔子の【仁】を批判します。 儒教の愛は親族に偏ったものであり、そのような差別的な愛は 悲しみや戦争を引き起こす原因になるとし【偏愛】【別愛】として否定したのです。 それに対抗して、差別なく他者を自分を愛するように愛する【兼愛】を説き 他人を愛せば必然的に自分も愛してもらえるという【交利】と言う概念を提唱しました。 これを【兼愛交利】と呼びます。 儒教の仁はある意味差別的な愛であり、全体の幸福よりも身内の幸福を重要視しているといえます。 一方で墨子の兼愛は、功利主義に非常に近く、最大多数の最大幸福を見ていると考えられますね。 十論には【兼愛交利】と【非攻】の他に このような思想が挙げられています。 これらの思想は儒教に対立したものが多く見られますね。 例えば【節葬】 儒家は葬送儀礼を重要視していましたので、 葬儀などの際には長い時間とコストをかけ、盛大に死者を見送りました。 十論では、そのコストカットを説いています。 次に【非命】 墨家においては【宿命論】を否定します。 人は努力次第で何者にもなれる。 努力して賢者となれば政治を動かすこともできると言うのです。 一方で儒教においては、宿命論を採用しています。 身分制度を確実なものにするために 身分の絶対性を説く必要がありました。 このように見ていくと、表現が正しいか甚だ疑問ではありますが 『右』と『左』の論争に近いものを感じます。 そう考えると、儒家と墨家が戦国の世の中において二大学派となったのには ある程度納得ができる気がします。 このようにして、墨家の思想は人々に受け入れられ一大勢力となります。 しかし、秦が中国を統一すると、急激にその勢いを弱め消滅してしまいます。 しかしこのずっと後、中国大陸に西洋思想が輸入されると、 キリスト教の『博愛主義』と比較される形で墨子の思想が 再度注目されることとなります。 彼の思想は、当時まだ自国=世界という狭い視点で人々が生きていた時代に あくまでも世界全体を見ることで生まれたと言えるでしょう。 その後、大きく発展することのなかった思想ではありますが、 ここから学べることは少なくないと感じます。
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