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【老子】中国思想解説#13【道家】【無為自然】

2021-08-27 06:10:48 | 哲学の窓

哲学チャンネルより 【老子】中国思想解説#13【道家】【無為自然】を紹介します。

ここから https://www.youtube.com/watch?v=fLD-JflWIIc

 
※関連した過去動画 【孔子①】中国思想解説#3【儒教】【論語】 https://youtu.be/d1zjKYT97YM
※書籍 老子 (岩波文庫) https://amzn.to/2VRPmyV
 
動画の書き起こし版です。
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老子は紀元前6世紀ごろを生きた人物とされていますが、 その実在自体が非常に怪しく、一般的には神話上の人物ではないかと言われています。 史記の記述によると、老子は楚の国に生まれ その後周の書庫記録係として働いていたとされています。 すでに道徳を修めており、偉大な人物だった老子ですが、 その思想から名を知られることを嫌い、有名になることを避けていたようです。 そして周の国が衰え始めたことを察すると、 隠居生活をするために周を離れようとします。 周を去るその時。 国境を越えようとした老子は関所の役人に懇願されます。 「先生はまさに今隠居されようとしていますが、 その前に私に教えを書き残してはいただけませんでしょうか?」 老子はこれに応じ『老子道徳経』を書き上げます。 彼についての直接的な言及はこの程度しか残っておらず、 その後の老子の消息は不明です。 民間の伝承レベルにおいては、 孔子に礼を教えたのは老子であるとか、 母親が流れ星を見て懐妊し60年近くも身篭っていたとか 伏犠の時代から何度も生まれ直して最終的には仏陀になったとか 多岐にわたる神話的な話が残っています。 実際、老子は『太上老君』として道教にて神格化されています。 老子は【道家(道教)】を代表する思想家として知られています。 道家は儒家の思想を 『仁や礼は世の中の乱れを正すために人為的に作られたものである』 と否定します。 これは後に融合する陰陽家の 『儒家の思想は人間社会に限定したもので、視野が狭い』 という主張とかなり近い考え方だといえます。 老子道徳経にはこうあります 『大道廃有仁義(大道廃れて仁義有り)』 本来人は道に従って生きていたが、文明が進化する過程で道を見失ってしまった。 それを無理やり縛ろうとする仁と礼は、より人間らしさを奪ってしまう。 【道】とは西洋哲学的に表現すると【ロゴス(法則)】のことです。 宇宙のあらゆるものを成り立たせる存在であり、 言葉で表すことのできない無名のものだと考えられました。 本来、原初の人間はこの【道】に従って生きていました。 しかし文明を獲得し、その文明を維持するために様々な制約を加える中で いつしか【道】を見失ってしまったというんですね。 そして、仁や礼も道から遠ざかる要因になった『制約』の一つであり 儒家の思想に従って生きるのは、本来の人間らしい生き方がより困難になることだと主張したのです。 宇宙のはじまりから、この世界は生成と消滅を繰り返して ある法則に従ってそれが延々と続きます。 その根底にあるのが道であり 仁や礼などの文化や価値観も道に従って変化し、やがて消滅してしまいます。 そのようなものに振り回されても幸せになることはできない。 個人的にはとても痛いところを突かれたような思いのする思想です。 同様の文脈で、老子道徳経にはこのような言葉もあります。 『絶学無憂(学を絶てば憂いなし)』 人為的に作られた中途半端な知識を持たない方が迷いがなくなるという意味です。 例えば、昨今のマナーブームには同様のことが言えるのではないでしょうか。 誰が作ったかわからないような形骸化したマナーを学んでも、 傍目から見たら「何やってんだか」と首をかしげたくなりますよね。 老子は、その視点で世の中の学者たちを見ていたのではないでしょうか。 さらに、こう続きます。 『唯(い)と阿(あ)と相い去ること幾何(いくばく)ぞ。善と悪と相い去ること何若(いかん)ぞ。』 はいと返事するのと、うんと返事するのにそれほどの違いがあるのか? 人が決める善と悪にそれほどの違いがあるのだろうか? 老子はこのようにして、人間社会が作り上げた習慣やマナー、価値観について それは一過性のもので本質的ではないと全否定します。 そうした思想から 『自然に従って生きることに勝るものはない』と結論付けます。 これを【無為自然】と呼びます。 『無為を為せば、則ち治まらざるなし』 何もしないことができれば、世の中は丸く治る。とまで言っています。 その上で、理想の国家体勢を【小国寡民】として提示します。 これは、【知足】とされる『ほどほどの満足を知った』国民が 小さな面積、少ない人口のコミュニティーにおいて 自給自足をし、罪も罰則も設けない国を理想とする思想です。 このような国においては、全ての国民が今の生活に満足しているため すぐ近くに隣国があっても、誰も出ていくことはないとされます。 簡単に言えば、文明の進歩を止めて後戻りしようということです。 非の打ち所のない正論にも聞こえますし、 一方でそれが正しいとしても実行できない理想論にも思えますね。 当時も同様だったはずですが、 現代においてもなんとなく「文明の進化が行きすぎているのではないか」 と考える人は少なくないと思います。 しかし、どうやら文明の歩みは後戻りすることを許さない仕組みになっているようです。 もしかしたら老子もそう考えていたかもしれません。 だからこそ、俗世を離れて自分だけでも理想の生き方を実現しようとしたと考えることもできますね。 老子の思想はその後彼を神格化することで、学問から宗教へと変化し 道教として中国大陸の民衆の心の支えになっていきます。
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