今朝(平成31年4月27日)の読売新聞の社説は、まさに平成の経済史でした。
まずは30年を総括しています。紺色の文字が社説本文です。
◆好循環へ攻めの投資が大切だ◆
平成の30年、日本経済は幾度もの危機を乗り切り、緩やかな景気回復で終わろうとしている。
とはいえ、デフレが長引き、経済の血液である資金の流れは滞ったままだ。
新たに迎える令和の時代、平成の教訓を踏まえながら、本格的な成長軌道への道を探りたい。
「幾度もの危機を乗り切り、緩やかな景気回復で終わろうと」した30年でした。
日経平均は次のようです。
ここから https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190426004442.html
それではその内容を見てみましょう。
◆先送りが傷口を広げた
平成元年(1989年)の年末、日経平均株価は史上最高値の3万8915円をつけた。地価も高騰し、日本の土地資産総額は現在の2倍の2450兆円に達した。
このバブルも、あっけなく崩壊する。日本銀行が公定歩合を引き上げ、大蔵省が不動産融資の総量規制に乗り出すと、地価や株価が下落し、不況へと陥った。
行き過ぎたバブルは放置できないが、軟着陸の道を探れなかったのか、との悔いも残る。
バブル崩壊は、1991年(平成3年)3月から1993年(平成5年)10月までの景気後退期のことです。
1990年3月に大蔵省銀行局長土田正顕から「土地関連融資の抑制について」(総量規制)通達が出されました。
さらに、日本銀行三重野康総裁も急激な金融引き締めを行い、信用収縮が一気に進みました。これにより日本の経済は極度に悪化したのです。
「軟着陸の道を探れなかったのか」
振り返りが必要です。
バブル崩壊は資産価格下落による不良債権問題を招く。92年、当時の宮沢喜一首相は公的資金で危機に備えるべきだと指摘した。
しかし、護送船団方式で守られてきた金融界では「景気が回復すれば解決する」との楽観論が幅をきかせた。「銀行救済に血税を使うのか」との世論に押され、抜本処理は遅れた。
世論への迎合は、時として冷静な政策判断をゆがめてしまう。今後の戒めとなろう。
宮沢喜一首相の「公的資金で危機に備えるべき」という指摘は正しかったのかもしれません。
97~98年の金融危機で、不良債権のマグマは遂ついに噴き出した。山一証券や日本長期信用銀行などの金融機関が相次いで経営破綻した。銀行の「貸し渋り」が広がり、モノやサービスの価格が下がるデフレへとつながっていく。
問題の先送りが傷口を広げたことは明白だ。素早い対処の大切さを肝に銘じるべきである。
デフレとはデフレーションの略で、私たちが普段買っている日用品やサービスの値段(物価)が全体的に下がり続ける現象です。
モノに対して、貨幣の価値が上がっていく状態です。
これらを表にすると・・・
https://www.nippon.com/ja/currents/d00360/
次の危機は2008年のリーマン・ショックだ。当初、政府・日銀は米国の危機と受け止めた。
しかし、輸出の急減に見舞われるとトヨタ自動車や日立製作所が巨額の赤字を計上した。製造業の「派遣切り」も社会問題化した。ここでも、手をこまぬいていた政府や日銀の対応は反省材料だ。
政府と日銀は、ようやく緊密に連携を取り始めた。首相官邸を中心とした経済政策の司令体制も整った。今後、危機が発生した際、その真価が問われよう。
リーマンショックとは2008年9月、大手投資会社リーマン・ブラザーズが経営破たんしたことで起きた、世界的な経済危機のことです。アメリカ市場のみならず世界の市場が混乱に陥り、株価が急落しました。
詳しくはここ https://orekabu.jp/lehmanshock/
アメリカの問題と考えられていましたが、むしろ日本の方がより大きな影響を受けました。
1ドル104円で取引されていた為替レートが、2008年12月には87円まで円が買われ、急激な円高にシフトしました。
そのせいで日本の輸出産業は大打撃を受け、リーマンショックに直接関係していないにもかかわらず日本市場も大暴落しました。
アメリカの方が回復が早く、日本が遅れたのは、首相が次々と変わり手が打てなかったのも要因でしょう。特に民主党政権は経済にはお手上げでした。
◆染みついたデフレ心理
企業も時代の変化にうまく対応できなかった。中でも、電機メーカーの退潮が目立つ。
急激な円高の中、半導体から家電まで抱え、自社で開発・生産する体制にこだわり続けた。事業の「選択と集中」が進まず、韓国や中国の企業とのコスト競争で敗れた。デジタル分野で活力を取り戻すための変革が求められよう。
企業の疲弊は雇用にも影響を及ぼした。調整弁とするために非正規雇用を急増させた。「働き方改革」を通じた非正規雇用の処遇改善は、企業の責務である。
平成の総理大臣をまとめてみましょう。
竹下 登(昭和62年11月6日~平成元年6月3日):自由民主党
宇野 宗佑(平成元年6月3日~同年8月10日):自由民主党
海部 俊樹(平成元年8月10日~平成3年11月5日):自由民主党 バブル崩壊
宮澤 喜一(平成3年11月5日~平成5年8月9日):自由民主党
細川 護熙(平成5年8月9日~平成6年4月28日):日本新党
羽田 孜(平成6年4月28日~同年6月30日):新生党
村山 富市(平成6年6月30日~平成8年1月11日):日本社会党
橋本龍太郎(平成8年1月11日~平成10年7月30日):自由民主党 金融危機
小渕 恵三(平成10年7月30日~平成12年4月5日):自由民主党
森 喜朗(平成12年4月5日~平成13年4月26日):自由民主党
小泉純一郎(平成13年4月26日~平成18年9月26日):自由民主党 いざなみ景気
安倍 晋三(平成18年9月26日~平成19年9月26日):自由民主党
福田 康夫(平成19年9月26日~平成20年9月24日):自由民主党 リーマンショック
麻生 太郎(平成20年9月24日~平成21年9月16日):自由民主党
鳩山由紀夫(平成21年9月16日~平成22年6月8日):民主党
菅 直人(平成22年6月8日~平成23年9月2日):民主党
野田 佳彦(平成23年9月2日~平成24年12月26日):民主党
安倍 晋三(2回目)(平成24年12月26日~現在):自由民主党 日銀の金融緩和政策アベノミクス
平成の間には、景気回復の動きもあった。02年2月~08年2月の「いざなみ景気」は、戦後最長だ。12年12月から始まった現在の回復期間も、これに迫る。
成長率が低く、実感なき「ぬるま湯経済」とも呼ばれるが、企業業績が好転したほか、有効求人倍率がバブル期を上回るなど雇用状況は大きく改善した。
安倍政権の経済政策「アベノミクス」の成果だろう。異次元の金融緩和や機動的な財政政策で、円安や株高が進んだ。
ただ、染みついたデフレ心理は消えず、企業は「守り」に徹した。多額の負債を抱えたままでは「倒産予備軍」と見なされるとして、借金返済を優先した。業績が回復すると手元資金を積み上げた。
家計にとっても、デフレの下では現預金の価値が上がっていくため、投資や消費に回すよりも手元に残した方が有利になる。
ここまでが振り返り。
これからどうすれば・・・
◆眠れる資金を動かそう
企業が蓄えた内部留保は、平成の間に約4倍になり、個人の現預金も2倍以上に膨らんだ。この滞留資金を動かすことが、平成にやり残した最大の課題である。
消費と投資拡大による好循環をどう実現するか。眠れる巨額の資金を動かすためには、官民の力を結集する必要がある。
ロボットやAI(人工知能)などによる「第4次産業革命」が有望分野となろう。企業が「攻め」の投資を積極化し、民間主導の技術革新を目指したい。人手不足対応の省力化投資も欠かせない。
成長産業に資金が流れるよう、規制緩和など政府の支援も要る。個人のお金を動かすには、将来不安を和らげることが重要だ。政府は社会保障制度の安定化と財政再建に取り組まねばならない。
読売新聞の平成31年4月27日の社説で、平成の経済を振り返ってみました。
令和の時代は、経済がゆるやかな上昇が続く時代を望みたいものです。
まずは30年を総括しています。紺色の文字が社説本文です。
◆好循環へ攻めの投資が大切だ◆
平成の30年、日本経済は幾度もの危機を乗り切り、緩やかな景気回復で終わろうとしている。
とはいえ、デフレが長引き、経済の血液である資金の流れは滞ったままだ。
新たに迎える令和の時代、平成の教訓を踏まえながら、本格的な成長軌道への道を探りたい。
「幾度もの危機を乗り切り、緩やかな景気回復で終わろうと」した30年でした。
日経平均は次のようです。
ここから https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190426004442.html
それではその内容を見てみましょう。
◆先送りが傷口を広げた
平成元年(1989年)の年末、日経平均株価は史上最高値の3万8915円をつけた。地価も高騰し、日本の土地資産総額は現在の2倍の2450兆円に達した。
このバブルも、あっけなく崩壊する。日本銀行が公定歩合を引き上げ、大蔵省が不動産融資の総量規制に乗り出すと、地価や株価が下落し、不況へと陥った。
行き過ぎたバブルは放置できないが、軟着陸の道を探れなかったのか、との悔いも残る。
バブル崩壊は、1991年(平成3年)3月から1993年(平成5年)10月までの景気後退期のことです。
1990年3月に大蔵省銀行局長土田正顕から「土地関連融資の抑制について」(総量規制)通達が出されました。
さらに、日本銀行三重野康総裁も急激な金融引き締めを行い、信用収縮が一気に進みました。これにより日本の経済は極度に悪化したのです。
「軟着陸の道を探れなかったのか」
振り返りが必要です。
バブル崩壊は資産価格下落による不良債権問題を招く。92年、当時の宮沢喜一首相は公的資金で危機に備えるべきだと指摘した。
しかし、護送船団方式で守られてきた金融界では「景気が回復すれば解決する」との楽観論が幅をきかせた。「銀行救済に血税を使うのか」との世論に押され、抜本処理は遅れた。
世論への迎合は、時として冷静な政策判断をゆがめてしまう。今後の戒めとなろう。
宮沢喜一首相の「公的資金で危機に備えるべき」という指摘は正しかったのかもしれません。
97~98年の金融危機で、不良債権のマグマは遂ついに噴き出した。山一証券や日本長期信用銀行などの金融機関が相次いで経営破綻した。銀行の「貸し渋り」が広がり、モノやサービスの価格が下がるデフレへとつながっていく。
問題の先送りが傷口を広げたことは明白だ。素早い対処の大切さを肝に銘じるべきである。
デフレとはデフレーションの略で、私たちが普段買っている日用品やサービスの値段(物価)が全体的に下がり続ける現象です。
モノに対して、貨幣の価値が上がっていく状態です。
これらを表にすると・・・
https://www.nippon.com/ja/currents/d00360/
次の危機は2008年のリーマン・ショックだ。当初、政府・日銀は米国の危機と受け止めた。
しかし、輸出の急減に見舞われるとトヨタ自動車や日立製作所が巨額の赤字を計上した。製造業の「派遣切り」も社会問題化した。ここでも、手をこまぬいていた政府や日銀の対応は反省材料だ。
政府と日銀は、ようやく緊密に連携を取り始めた。首相官邸を中心とした経済政策の司令体制も整った。今後、危機が発生した際、その真価が問われよう。
リーマンショックとは2008年9月、大手投資会社リーマン・ブラザーズが経営破たんしたことで起きた、世界的な経済危機のことです。アメリカ市場のみならず世界の市場が混乱に陥り、株価が急落しました。
詳しくはここ https://orekabu.jp/lehmanshock/
アメリカの問題と考えられていましたが、むしろ日本の方がより大きな影響を受けました。
1ドル104円で取引されていた為替レートが、2008年12月には87円まで円が買われ、急激な円高にシフトしました。
そのせいで日本の輸出産業は大打撃を受け、リーマンショックに直接関係していないにもかかわらず日本市場も大暴落しました。
アメリカの方が回復が早く、日本が遅れたのは、首相が次々と変わり手が打てなかったのも要因でしょう。特に民主党政権は経済にはお手上げでした。
◆染みついたデフレ心理
企業も時代の変化にうまく対応できなかった。中でも、電機メーカーの退潮が目立つ。
急激な円高の中、半導体から家電まで抱え、自社で開発・生産する体制にこだわり続けた。事業の「選択と集中」が進まず、韓国や中国の企業とのコスト競争で敗れた。デジタル分野で活力を取り戻すための変革が求められよう。
企業の疲弊は雇用にも影響を及ぼした。調整弁とするために非正規雇用を急増させた。「働き方改革」を通じた非正規雇用の処遇改善は、企業の責務である。
平成の総理大臣をまとめてみましょう。
竹下 登(昭和62年11月6日~平成元年6月3日):自由民主党
宇野 宗佑(平成元年6月3日~同年8月10日):自由民主党
海部 俊樹(平成元年8月10日~平成3年11月5日):自由民主党 バブル崩壊
宮澤 喜一(平成3年11月5日~平成5年8月9日):自由民主党
細川 護熙(平成5年8月9日~平成6年4月28日):日本新党
羽田 孜(平成6年4月28日~同年6月30日):新生党
村山 富市(平成6年6月30日~平成8年1月11日):日本社会党
橋本龍太郎(平成8年1月11日~平成10年7月30日):自由民主党 金融危機
小渕 恵三(平成10年7月30日~平成12年4月5日):自由民主党
森 喜朗(平成12年4月5日~平成13年4月26日):自由民主党
小泉純一郎(平成13年4月26日~平成18年9月26日):自由民主党 いざなみ景気
安倍 晋三(平成18年9月26日~平成19年9月26日):自由民主党
福田 康夫(平成19年9月26日~平成20年9月24日):自由民主党 リーマンショック
麻生 太郎(平成20年9月24日~平成21年9月16日):自由民主党
鳩山由紀夫(平成21年9月16日~平成22年6月8日):民主党
菅 直人(平成22年6月8日~平成23年9月2日):民主党
野田 佳彦(平成23年9月2日~平成24年12月26日):民主党
安倍 晋三(2回目)(平成24年12月26日~現在):自由民主党 日銀の金融緩和政策アベノミクス
平成の間には、景気回復の動きもあった。02年2月~08年2月の「いざなみ景気」は、戦後最長だ。12年12月から始まった現在の回復期間も、これに迫る。
成長率が低く、実感なき「ぬるま湯経済」とも呼ばれるが、企業業績が好転したほか、有効求人倍率がバブル期を上回るなど雇用状況は大きく改善した。
安倍政権の経済政策「アベノミクス」の成果だろう。異次元の金融緩和や機動的な財政政策で、円安や株高が進んだ。
ただ、染みついたデフレ心理は消えず、企業は「守り」に徹した。多額の負債を抱えたままでは「倒産予備軍」と見なされるとして、借金返済を優先した。業績が回復すると手元資金を積み上げた。
家計にとっても、デフレの下では現預金の価値が上がっていくため、投資や消費に回すよりも手元に残した方が有利になる。
ここまでが振り返り。
これからどうすれば・・・
◆眠れる資金を動かそう
企業が蓄えた内部留保は、平成の間に約4倍になり、個人の現預金も2倍以上に膨らんだ。この滞留資金を動かすことが、平成にやり残した最大の課題である。
消費と投資拡大による好循環をどう実現するか。眠れる巨額の資金を動かすためには、官民の力を結集する必要がある。
ロボットやAI(人工知能)などによる「第4次産業革命」が有望分野となろう。企業が「攻め」の投資を積極化し、民間主導の技術革新を目指したい。人手不足対応の省力化投資も欠かせない。
成長産業に資金が流れるよう、規制緩和など政府の支援も要る。個人のお金を動かすには、将来不安を和らげることが重要だ。政府は社会保障制度の安定化と財政再建に取り組まねばならない。
読売新聞の平成31年4月27日の社説で、平成の経済を振り返ってみました。
令和の時代は、経済がゆるやかな上昇が続く時代を望みたいものです。