殉死と埴輪
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主な論点:人や馬の形を模した埴輪がどうして墳墓に立てられるようになったかというその起源は、『日本書紀』垂仁(BC29~AD70)三十二年
野見宿禰が埴輪の創始者。悲惨で残酷な殉葬の風習を、出雲国から呼んだ土部百人に作らせた「人・馬と種々の物の形と」によって代替することで止めさせた。
しかし、人物や動物の埴輪は古墳時代の中期半ば以降に作り始められ、後期に盛んとなった。時代が違う?
「魏志倭人伝」における、 卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。径百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。 の徇葬の記述は疑問。
(中略)
主君のために殉じるというのであれば、近代における乃木希典にまでつながる美学とでも呼べるような殉死の思想があった。
〔付記〕 殉死・殉葬が実際に行われていたということ、を歴史資料や考古学の発掘事例などをもとに追究した論文が平林章仁氏よって発表されているのを(「殉死 ・ 殉葬 ・ 人身御供 」 『三輪山の古代史』白水社、2000年)、本稿執筆後に知った。そこでは、殉死・殉葬に関して、公平、厳密な考察がなされており、古代にそれが行われていたということは疑う余地がない。平林論文を前にすると、本稿など色褪せてしまうが、今さら取り下げることもできないので恥をさらすことにする。平林氏の論文をぜひお読みいただきたい。