あなたも社楽人!

社楽の会の運営者によるブログです。社会科に関する情報などを発信します。

明治の愛知を支えた江南の『豪商五人衆』

2019-09-22 16:21:07 | 郷土の歴史
本日14時から16時に江南市文で開かれた、明治の愛知を支えた江南の『豪商五人衆』へ行ってきました。



ここ数年に聴いた講演の中で、トップクラスの面白さでした。

古知野で生まれ、江南で育ちながら、古知野の秘密を知らないでいました。

会場は超満員!


講師は後藤正敏さん。江南文芸村代表です。


前提として、濃尾平野の扇状地は、米作りには不向きで桑の栽培には最適であることを言われました。養蚕地域は全国にありますが、尾州産の絹が最も良質で多くとれました。

まずは、瀧兵右兵門

東野の人ですが、1751年に古知野に絹物卸商を開業します。
ここがポイントです。
なぜなら、古知野は成瀬氏の土地(他に和田・中奈良)。
名古屋城に入り込むときに「成瀬家から来ました」と言って入っていったのです。
成瀬家は尾張藩の御附家老なので、入れないわけにはいきません。
しかも、伊藤家(後の松坂屋)は売るだけですが、瀧兵は製造(養蚕)から握っているので強い。
明治23年の愛知県の長者番付で1位と9位を瀧家で占めています。


続いて、春日井丈衛門

赤童子出身で、尾張藩に大金を貸し、3000両を帳消しにすることで名字・帯刀を許されます。
名古屋市最大の地主になります。

現在、大同大学のある滝春町は、瀧兵右兵門と春日井丈衛門が干潟を造成し、寄付した土地です。


3人目が祖父江重兵衛
木賀の祖父江さんは今もお住まいです。
木綿の大卸商として、富を築きます。
愛知の長者番付では、春日井丈衛門に続きます。



4人目が服部(堀尾)兼三郎
文化会館西の堀尾さんの先祖です。
服部商店(あの興和紡績)を立ち上げ、コルゲンコーワなどの製薬会社の基礎を作りました。

また、豊田佐吉の盟友で、佐吉が織機を作り、兼三郎がそれを買い取り紡績で使用しました。トヨタ自動車の基礎を支えたのです。
また元トヨタ自動車社長の石田退三は、服部商店に入り、佐吉と出会います。

5人目が石田養助

古知野銀行をつくり、それが瀧兵右兵門の名古屋銀行に譲り、東海銀行へとなりました。


資産を見てください。


尾張藩の伊藤、岡谷などと比べて桁が違います。


現在も続いています。


ここまで、発展した理由は・・・・


勉強になりました。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。