今日3月14日は新聞休刊日なので、昨日のコラムを紹介します。
・ 植物たちに、魔法がかけられた。そんなふうに思えてしまうのが春という季節である。冬越し野菜のエンドウは、ついこの間まで身を縮めるようにしていた。それがぐんぐん伸び始め、白い花をつけた
▼枯れ木にしか見えなかったアジサイにも、鮮やかな緑の芽が吹いている。日差しの長さや暖かさに反応しているのだと頭では分か…
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・ 「マクドナルドがある国同士は戦争しない」。米コラムニストのトーマス・フリードマン氏がそんな理論を提唱したのは1996年のことである。82年のフォークランド紛争を例外と考えていたが、アルゼンチン初進出は86年と知って意を強くしたそうだ
▲冷戦が終わり、民主主義と自由経済が勝利したという楽観論が広がっていた。フリードマン氏は内戦は対象外という条件付きで「マクドナルドを支えるのに十分な中間層が育てば、その国は戦争をしたがらない」と推論した
▲ソ連初の店舗がモスクワに誕生したのが90年1月。同年10月には中国広東省深圳に中国第1号店がオープンした。どちらも店を取り囲む長い行列ができ、イデオロギーより生活スタイルが重視される時代を印象づけた。そんな動きも理論の背景にあったのだろう
▲今では有効性に疑問符がつく。2008年の南オセチア紛争でロシアが戦ったジョージアには99年に進出していた。やはり店舗が展開するウクライナにもロシアが侵攻した
▲理論はもはや過去のものと考えていたら、マクドナルドがロシア国内店舗の一斉休業を発表した。プーチン露大統領は撤退する外国企業の資産を押収すると脅している。Mマークは消えるかもしれない
▲スターバックスやユニクロも営業を停止する。欧米同様の生活スタイルを享受してきた中間層には衝撃だろう。国民生活を顧
みず、戦争に突き進んだ指導者に彼らがノーを突きつける未来を想像するのは楽観的すぎるだろうか。
・ あれは日本人を油断させるための呪文だったのでは……。いまでは、そんな思いさえ抱いてしまうのが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉である。このタイトルを冠した米ハーバード大教授、エズラ・ボーゲル氏の著書は70万部を超すベストセラーになった。
▼1979年刊行のこの本は日本的経営の強みや背景を論じ、当時の人々を誇らしい気分にさせた。それはバブル期に絶頂に達し、後年まで日本人のメンタリティーに自尊...
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・ 人の命には「約」も「およそ」もなく、「多い」や「少ない」で量れるものでもない。歌人にして新聞記者の土岐善麿に、忘れ難い一首がある。〈遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし〉
▼昭和15年の作という。繊細な人だったのだろう。外地の戦争を伝える記事に接し、失われた命を「数百」「数千」で片づける無神経に眉をひそめて詠んだとされる。二つとない命を、誰もが胸に抱いて生きてきたはずだ、と。歌人の問いが、胸の奥底に重たく響く。
▼命について思いをめぐらせる日が、3月の暦には並ぶ。東京大空襲の惨禍が刻まれた10日があり、東日本大震災の爪痕をとどめた11日があり、そしてお彼岸へ続く。忘れてしまいたい悲しみと忘れてはならない教訓とのはざまで、今年も「慰霊の春」が流れてゆく。
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・ <よみ人知らず座中みなくさがらせ>。江戸時代の古川柳だが、ちょっと分かりにくいか。その場にいた人を困らせた犯人はオナラである。しかも誰も名乗り出ないので<よみ人知らず>
▼品のない話題で申し訳ないが、オナラを扱った古川柳はかなりある。目に見えず、証拠がないのをいいことに当の本人はとぼけている。そんな内容の句が目立つ。<屁(へ)をひっておや坊さんと乳母とぼけ>。自供しないどころか、坊ちゃんのしわざにした、乳母のすました顔が浮かんでくる
▼こんな平和な話だけ書いていたかったが、そうもいかぬ。あの句でいえば<おや米国とロシアとぼけ>という話だろう。ウクライナ侵攻を続けるロシアによる悪質な偽情報、屁理屈と思いつつも、そのでたらめな言い分に耳を疑う。ウクライナで米国が生物・化学兵器の研究・開発を進めていると言うのである
▼根拠のないロシアの主張に対し、米欧側はこぞって非難するが、気になるのはロシア側の狙いである
▼実は生物・化学兵器の使用を視野に入れるのはロシアの方で、こうした主張によって米国に疑いの目を向けさせておくシナリオではないかと米欧は警戒を強める
▼使用すれば広範囲に深刻な影響を及ぼす国際法が禁じる危険な兵器である。誰かに罪をなすりつけた上で、とぼけ顔で使おうとは。ロシアの越えてはならない一線はどこにあるのか。
※ コラムもロシアです。
早く終わってほしい・・・