昨日のタワーパーク ~ 大野治長の出身地
コスモスが満開でした。
秋晴れによく映えています。
ここ、タワーパークがある大野公園は、大野城跡の近くにあります。
Wikipediaでは、
『尾張群書系図部集』は『尾張志』『張州雑志』などを根拠に、丹後国丹後郡大野村で生まれたとする説の方を誤伝として、尾張国葉栗郡大野村で生まれた城主一族であるとしている。大野氏はもとは石清水祠官(しかん)の家で、神職を失って美濃国に流れてきた大野治定(伊賀守)が、織田信長の命令で同地に大野城を築いて居城とした。この治定は祖父にあたり、定長はその子で、大野城を継いだ治久は定長の弟(治長から見れば叔父)にあたる。『南路志』によれば、尾張葉栗郡の同郷の毛利勝永とは従兄弟の関係にあったという。
とされています。