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徳川美術館 刊行物

2021-08-09 13:31:09 | 歴史関連情報

昨日、徳川美術館へ行ってきました。お目当ては、夏季特別展 家康から義直へです。

家康直筆の書状が多数あり、注目しました。

文禄3年(1954年)「伏見城普請中法度」では、

上方(豊臣方)の武士に殺されても、そのときは我慢して、上の判断に任せよ という内容が書かれています。力関係がわかる、生々しい資料です。


奥村得義(かつよし)の『金城温故録』を初めて見ました。尾張徳川家本は全66冊です。(以下Wikipediaより)

内容は厳格なまでに忠実な描写と詳細な記述に終始しており、名古屋城の全盛期を正確かつ詳細に知ることができる。

  • ・門・土塀、石垣御殿・土蔵・番所など、すべての土木建築物の詳細外観図
  • 井戸・水汲み桶など、城内で用いる工作物や道具の図、各種寸法
  • 樹木、芝、白砂、栗石などの地表面の状態
  • 城内での規制、作法、慣習などの記載
    • (例-1)毎年夏の土用5~6日目の晴の2日間に、井戸から1日桶100杯ずつ汲み上げる風習があった
    • (例-2)天保11年(1840年)、12代藩主・徳川斉荘が、上記の水を茶の用として江戸へ取り寄せた
    • (例-3)井戸に物を落とした時、処置をするのは作事方の仕事であった
    • (例-4)城門や櫓の扉の開閉の仕方や管理方法
    • (例-5)番所における勤務方法
    • (例-6)御殿内での通行の方法
  • 四神相応について以下の記述。
    • 「名府御城の如きは、道を四道に開かれて、四方より人民輻湊する事、恰も天下の城の如く十里に嶮地を置き、東は山、南は海、西北は木曾川あり、その中間、三五里を隔て要害設し給ふ(中略)、先は東は八事山の砦柵、西は佐屋、清州の陣屋(中略)、城、場、郭の三を備へ、四神相応の要地の城とは、これを申奉るなるべし」

リアリティがありますね。


その他、以下の資料を手に入れました。

『没後400年 徳川家康-天下人の遺産-』

平成27年 68P


子ども用ですが、大人でも十分に耐えうる内容です。

令和3年 22P


10数年たちますが、資料の解説は十分に使えます。

平成19年 212P


蓬左文庫について知るなら、まずはここからでしょう。

2018年 58P


3種の復元マップです。

「幕末 城下町名古屋復元マップ 3枚セット」

このほかに、丹羽郡の絵図も購入しました。


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