1月2日は新聞休刊日なので、昨日の社説の一部を紹介します。
毎日新聞
・ 「うつくしさは想像を越えていた。色彩の饗(きょう)宴(えん)である」。1964年10月10日の東京五輪の開会式を見た作家の杉本苑子(すぎもと・そのこ)さんはその印象をまず「うつくしかった」と記した。何より「空がみごとであった」とも
▲3年前に91歳で亡くなった杉本さんは、そのすぐ後にこう記している。「二十年前のやはり十月、同じ競技場に私はいた」。女学生だった杉本さんは出陣学徒壮行会で、出征する学徒兵たちを秋雨のグラウンドに立って見送ったのだ
▲「色彩はまったく無かった。グラウンドもカーキ色と黒の二色。暗鬱(あんうつ)な雨空がその上を覆い、足元は一面のぬかるみであった。私たちは泣きながら征(ゆ)く人々の行進に添って走った。髪もからだもぬれていたが、寒さは感じなかった」
▲大河ドラマ「いだてん」でも描かれた五輪開会式と学徒壮行会の対比だが、その間がわずか20年ということに胸を突かれる。ちなみに今から20年前はイチローが大リーグに移籍し、T・ウッズが初グランドスラムを達成した年である
▲あの日がきょうになるなら、輝くきょうも明日はどうなるか分からない。それを「恐ろしい」と感じた杉本さんの気持ちが分かる。せめて次の20年後のために五輪の意義がこの競技場に根を下ろすことを祈る。杉本さんはそう結んだ
▲56年の歳月を経て東京五輪・パラリンピックの2020年がやってきた。その間に人類が戦争の悲惨から解放されたわけではない。だが作家の祈りはともかくもかなえられ、未来は私たちの手の中にある。
日本経済新聞
・ 元日付のこういうコラムは、ふつうなら来し方行く末に思いをはせ、まずは新年をことほぐものである。だから当方も1964年、つまり前回のオリンピックイヤーの本紙縮刷版を読みふけり、56年前の正月の活気を思い出していた。けなげだったなあ、あの時代……。
▼しみじみとした気分が、カルロス・ゴーン被告逃亡のニュースで吹っ飛んだ。日産自動車に君臨しながら逮捕され、特別背任などの罪で起訴され、保釈を認められて公判を待っていた人である。あろうことか、遁術(とんじゅつ)を用いて出国に及んだらしい。元会長の肩書が泣く所業だ。日本の当局にとっても、これほどの恥辱はない。
▼「私は不公平さと政治的な迫害から解き放たれた」。なかなか口が達者なカリスマである。中東レバノンからの声明は、しかし、ようするに盗っ人たけだけしい。事件がガラパゴス司法の問題点を浮かび上がらせたのは確かだし、この人は今後もそれを強く訴えるはずだ。それでもその挙措、あまりにもさもしくはないか。
▼日本の世論はかえって、古い司法を守るほうに傾くかもしれない。ゴーン裁判が開かれなければ、いくつもの謎が残されるに違いない。元会長の逃亡は、そんな罪もはらんでいる。ため息をつきつつ64年の元日紙面を眺めれば、日産の全面広告が晴れやかに自動車立国をうたっている。この半世紀は、なんだったのだろう。
産経新聞
・ 明けましておめでとうございます。届いたばかりの年賀状には、ネズミの絵柄が目立つはずだ。十二支の最初に据えられたネズミと日本人との関わりは深い。『古事記』にも登場する。須佐之男命(すさのおのみこと)により野原で焼き打ちにあった大国主命(おおくにぬしのみこと)の窮地を救ったのは、ネズミだった。
▼正月三が日には、「嫁が君」なる異称が与えられる。『日本国語大辞典』には、「新年に鼠(ねずみ)の害を減ずるためにねずみと呼ばず天井のヨメと呼び饗(きょう)したところから」とある。〈明くる夜もほのかにうれし嫁が君〉(其角)。新年の季語とした多くの俳句も詠まれてきた。
▼実は人類はネズミから大きな恩恵を受けている。実験動物の代表的な存在が、シロネズミである。家畜化したドブネズミから特に白いネズミを選んで繁殖させたものだ。19世紀半ばから医学の実験に使われるようになり、現在は国内で年間数百万匹規模の利用がある。
▼自然界でも白いネズミはまれに見つかることがあり、昔から吉兆とされてきた。忠実な奉公人という意味もある。故城山三郎さんの代表作の一つ『鼠』のタイトルは、この白いネズミを指す。
▼小説の主人公は、大正時代に日本一の売り上げを誇った鈴木商店の大番頭、金子直吉である。俳号を「白鼠」としたのは、主家に献身的に仕える自らの姿勢を示したものだ。鈴木商店は、米騒動が起こった大正7年、米価急騰の張本人とされて焼き打ちにあう。
▼背景には、鈴木が米を買い占めている、との当時の大阪朝日新聞の報道があった。城山さんは丹念な取材で、まったくの虚報だった事実を突き止める。今読み返すと、フェイクニュースが飛び交う現代社会への警告にもなっている。ネズミに学ぶことが多い一年となりそうだ。
中日新聞
・ 冷たい風に葉を落とされた木々も近づいてみれば、新たな芽が枝先に生まれていて生命の気が伝わる。冬芽の時節である。柔毛に覆われたモクレン、丸みを帯びたハナミズキ…。花の姿を思ってながめるのは季節のちょっとした楽しみでもある
▼あけましておめでとうございます。俗説に「めでたい」の語源は「芽出たし」といわれ、「芽出度(めでた)し」などと当てられてきた。寒さの中でその身を小さく、固くしつつ、花や葉となるのを待つ冬芽は、一年の吉事を願う正月の「めでたさ」に通じていようか
▼人の営みは、相変わらず先行きおぼつかないけれど、めでたさをいつにも増して覚えるのは五輪という花を咲かせる冬芽がそこにあるからであろう。東京五輪とパラリンピックが迫っている
▼「勇気と夢と青春の年」。前回の東京五輪があった年、元日の新聞に詩人草野心平が、そう題した詩を寄せている。<新鮮で若いエネルギーがこの秋/極東の島に集ってくる…よき哉(かな)/一九六四年>。青春期のまっただ中にある若い国の熱が伝わる
▼再び東京に五輪を迎える日本は青春期をとうに過ぎ、枯れたと思える時季も経験している。どんな花になるだろうか。派手でおおぶりでなくても、よきかなと後々笑顔で語り継げる大会になればいい
▼<真直(まっす)ぐに行けと冬芽の挙(こぞ)りけり>金箱戈止夫。冬芽の成長を思う二度目の青春の年である。
※
毎日新聞
・ 「うつくしさは想像を越えていた。色彩の饗(きょう)宴(えん)である」。1964年10月10日の東京五輪の開会式を見た作家の杉本苑子(すぎもと・そのこ)さんはその印象をまず「うつくしかった」と記した。何より「空がみごとであった」とも
▲3年前に91歳で亡くなった杉本さんは、そのすぐ後にこう記している。「二十年前のやはり十月、同じ競技場に私はいた」。女学生だった杉本さんは出陣学徒壮行会で、出征する学徒兵たちを秋雨のグラウンドに立って見送ったのだ
▲「色彩はまったく無かった。グラウンドもカーキ色と黒の二色。暗鬱(あんうつ)な雨空がその上を覆い、足元は一面のぬかるみであった。私たちは泣きながら征(ゆ)く人々の行進に添って走った。髪もからだもぬれていたが、寒さは感じなかった」
▲大河ドラマ「いだてん」でも描かれた五輪開会式と学徒壮行会の対比だが、その間がわずか20年ということに胸を突かれる。ちなみに今から20年前はイチローが大リーグに移籍し、T・ウッズが初グランドスラムを達成した年である
▲あの日がきょうになるなら、輝くきょうも明日はどうなるか分からない。それを「恐ろしい」と感じた杉本さんの気持ちが分かる。せめて次の20年後のために五輪の意義がこの競技場に根を下ろすことを祈る。杉本さんはそう結んだ
▲56年の歳月を経て東京五輪・パラリンピックの2020年がやってきた。その間に人類が戦争の悲惨から解放されたわけではない。だが作家の祈りはともかくもかなえられ、未来は私たちの手の中にある。
日本経済新聞
・ 元日付のこういうコラムは、ふつうなら来し方行く末に思いをはせ、まずは新年をことほぐものである。だから当方も1964年、つまり前回のオリンピックイヤーの本紙縮刷版を読みふけり、56年前の正月の活気を思い出していた。けなげだったなあ、あの時代……。
▼しみじみとした気分が、カルロス・ゴーン被告逃亡のニュースで吹っ飛んだ。日産自動車に君臨しながら逮捕され、特別背任などの罪で起訴され、保釈を認められて公判を待っていた人である。あろうことか、遁術(とんじゅつ)を用いて出国に及んだらしい。元会長の肩書が泣く所業だ。日本の当局にとっても、これほどの恥辱はない。
▼「私は不公平さと政治的な迫害から解き放たれた」。なかなか口が達者なカリスマである。中東レバノンからの声明は、しかし、ようするに盗っ人たけだけしい。事件がガラパゴス司法の問題点を浮かび上がらせたのは確かだし、この人は今後もそれを強く訴えるはずだ。それでもその挙措、あまりにもさもしくはないか。
▼日本の世論はかえって、古い司法を守るほうに傾くかもしれない。ゴーン裁判が開かれなければ、いくつもの謎が残されるに違いない。元会長の逃亡は、そんな罪もはらんでいる。ため息をつきつつ64年の元日紙面を眺めれば、日産の全面広告が晴れやかに自動車立国をうたっている。この半世紀は、なんだったのだろう。
産経新聞
・ 明けましておめでとうございます。届いたばかりの年賀状には、ネズミの絵柄が目立つはずだ。十二支の最初に据えられたネズミと日本人との関わりは深い。『古事記』にも登場する。須佐之男命(すさのおのみこと)により野原で焼き打ちにあった大国主命(おおくにぬしのみこと)の窮地を救ったのは、ネズミだった。
▼正月三が日には、「嫁が君」なる異称が与えられる。『日本国語大辞典』には、「新年に鼠(ねずみ)の害を減ずるためにねずみと呼ばず天井のヨメと呼び饗(きょう)したところから」とある。〈明くる夜もほのかにうれし嫁が君〉(其角)。新年の季語とした多くの俳句も詠まれてきた。
▼実は人類はネズミから大きな恩恵を受けている。実験動物の代表的な存在が、シロネズミである。家畜化したドブネズミから特に白いネズミを選んで繁殖させたものだ。19世紀半ばから医学の実験に使われるようになり、現在は国内で年間数百万匹規模の利用がある。
▼自然界でも白いネズミはまれに見つかることがあり、昔から吉兆とされてきた。忠実な奉公人という意味もある。故城山三郎さんの代表作の一つ『鼠』のタイトルは、この白いネズミを指す。
▼小説の主人公は、大正時代に日本一の売り上げを誇った鈴木商店の大番頭、金子直吉である。俳号を「白鼠」としたのは、主家に献身的に仕える自らの姿勢を示したものだ。鈴木商店は、米騒動が起こった大正7年、米価急騰の張本人とされて焼き打ちにあう。
▼背景には、鈴木が米を買い占めている、との当時の大阪朝日新聞の報道があった。城山さんは丹念な取材で、まったくの虚報だった事実を突き止める。今読み返すと、フェイクニュースが飛び交う現代社会への警告にもなっている。ネズミに学ぶことが多い一年となりそうだ。
中日新聞
・ 冷たい風に葉を落とされた木々も近づいてみれば、新たな芽が枝先に生まれていて生命の気が伝わる。冬芽の時節である。柔毛に覆われたモクレン、丸みを帯びたハナミズキ…。花の姿を思ってながめるのは季節のちょっとした楽しみでもある
▼あけましておめでとうございます。俗説に「めでたい」の語源は「芽出たし」といわれ、「芽出度(めでた)し」などと当てられてきた。寒さの中でその身を小さく、固くしつつ、花や葉となるのを待つ冬芽は、一年の吉事を願う正月の「めでたさ」に通じていようか
▼人の営みは、相変わらず先行きおぼつかないけれど、めでたさをいつにも増して覚えるのは五輪という花を咲かせる冬芽がそこにあるからであろう。東京五輪とパラリンピックが迫っている
▼「勇気と夢と青春の年」。前回の東京五輪があった年、元日の新聞に詩人草野心平が、そう題した詩を寄せている。<新鮮で若いエネルギーがこの秋/極東の島に集ってくる…よき哉(かな)/一九六四年>。青春期のまっただ中にある若い国の熱が伝わる
▼再び東京に五輪を迎える日本は青春期をとうに過ぎ、枯れたと思える時季も経験している。どんな花になるだろうか。派手でおおぶりでなくても、よきかなと後々笑顔で語り継げる大会になればいい
▼<真直(まっす)ぐに行けと冬芽の挙(こぞ)りけり>金箱戈止夫。冬芽の成長を思う二度目の青春の年である。
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