あけまして
おめでとうごさいます。
本年も宜しくお願い申し上げます。
20~30年位前までは、年末年始の番組で名作映画が連ちゃんで
やっていましたがいまはほとんどやってないです。
年末の夜は「余市」と共にコッポラのDVD「地獄の黙示録」を観てました。
気が付いたら年が明けていました。
自分らしい、幕開けだと感じました。
この作品の面白いところは、約30年前の封切り当初は散々酷評されたのに
年を重ねるにつれてグングンその評価が高まっていきコッポラも冨と名誉を
回復したのです。
ゴッドファーザーを二作とも大成功させて、自分の好きなように映画を作る
権利を手に入れたコッポラはこの作品に取り掛かりました。
がしか~し!東南アジアの大自然の猛威や政府やら俳優らの体調問題とわがまま
に散々振り回される中で奥さんのエレノアとも離婚されそうになったり、
難題につぐ難題が台風(ホンモノの台風で全セット崩壊)のごとく
やってくるのでした。
なんだか不吉な前兆はあった。
ジョン・ミリアスの書いてきた脚本がまずもって全然ダメ。
戦争アクション映画なんてオレは作らんぞ!と怒り心頭に達した
コッポラはミリアスを叩き出す。
アカデミー最優秀脚本賞を受賞している監督なので自信はある。
自分で脚本を全面書き直し始める。
結局書きながら撮影を平行して進めていくはめになった。
これがまたやばかった。
「ゴッドファーザー」で出会った成功の女神はコッポラに不吉な
微笑みを投げかけた。
才能に自信はあった。
なにせ映画史に残る鉄板の実績も出しているのだ。
しかし「ゴッドファーザー」はオレが撮りたくて撮った映画じゃなかった。
そうだ雇われ監督として、ハリウッド中にイタリア系アメリカ人がオレ以外に
いなかったから監督を抜擢されたのだ。だからお偉いさん方は選択の余地無しで
オレを雇ったのだ。だがこのオレはくだらない安っぽいアクションギャング
映画なんてこれっぽっちも作る気はなかったのだ。
どうせやるなら、黒澤明の様なあるいはトルストイやドストエフスキーの様な
ロシア古典文学に匹敵するような、大河ドラマを作るのだァ!と心底燃えて
取りかかったのだ。
自分には実績があるのだ。やりとげてみせる!
・・とコッポラが言ったかどうかは分からんが、とにかく・・
ギリシャ悲劇。神学。哲学。古典文学。心理学。アメリカで抱えている病。
戦争の狂気。アメリカ政府の矛盾。宗教問題。極限状況における人間の精神。
そう全てを詰め込んで。
そこに自分の人生の集大成を映画でアプローチをしようとした。
そして間もなく、行き詰り書けなくなっていった。
当然ままならない状況下の中、撮影日数も予算もオーバー。
映画の神様はまだまだ終らせない。
コッポラ自身の「ダンテの神曲」地獄巡りが続いた。
主演俳優のマーチン・シーンが過酷な撮影に耐えられずついに倒れ死にかける。
もう一人の主演マーロン・ブランドは台詞覚えてこないし役作りもしないくせに
撮影現場にやってきてわがまま言って超高額なギャラを請求してくる。
現場の状況を知った制作会社のお偉い方々が、中止を迫り
強烈な圧力をかけてくる。
とんでもないぞ!コッポラ。この映画は完成しない。
いますぐ中止せよ!お前は続けることはできない!
言うことを聞かないのならどうなるか分かってるな?
すでに自分の財産もつぎ込んで破産寸前。そのうえ訴訟による莫大な
損害賠償問題。
もう泣きっ面に蜂のコッポラは、どんだけ~!状態。
挙句の果てに拳銃を自分の頭に突きつける始末。
絶体絶命。
想像を超えた試練に継ぐ試練。
ああ、なぜだ?なぜなんだ?
神様はなぜこのような仕打ちをオレにするのか?
オレがいったいなにをしたというのか?
もうだめだ。ムリだ。手は尽くした。
万事休す・・・。
ジ・エンド。
コッポラの大学時代の友人ジム・モリスン率いる
ドアーズの「ジ・エンド」が
新宿プラザの劇場内に大音響でこだまする。
画面いっぱいに映し出されたベトナムの密林が炎上する。
13歳の映画少年はそれを目の当たりにする。
映画は完成されたのだ。
そうやりとげたのだ。
地獄から生還したのだ。
カンヌ国際映画祭グランプリ受賞。
しかし、空前の大ヒットはしなかった。
まことに微妙な興行成績ではあった。
映画とタイアップして、バンバン流れていた
サントリーウィスキー「リザーブ」のCMはカッコよかった。
ワグナー「ワルキューレの騎行」と映画とリザーブは
私の中で3点セットだ。
画面には物語が映し出されている。
しかし画面のそこかしこから漂ってくるのだ。
コッポラ自身が味わったものがだ。
観終わった時に、とても力が湧いてくる作品だ。
いや、どのような観方をしてもかまわないし。
観るたびに発見があり、その都度感じ方もまるっきり違うのだが。
元旦の夜は、こう感じた。
信念を持った男が様々な困難に遭遇し悪戦苦闘しながらなんとか対処していき
やりとげていくことを生々しくかつ身をもって教えてくれる映画なのだ。
*撮影秘話は私の勘違いと思い込みと妄想も多分に含まれているかもしれない。
しかし、それを含めて今私が感じているものを出したつもりです。
おめでとうごさいます。
本年も宜しくお願い申し上げます。
20~30年位前までは、年末年始の番組で名作映画が連ちゃんで
やっていましたがいまはほとんどやってないです。
年末の夜は「余市」と共にコッポラのDVD「地獄の黙示録」を観てました。
気が付いたら年が明けていました。
自分らしい、幕開けだと感じました。
この作品の面白いところは、約30年前の封切り当初は散々酷評されたのに
年を重ねるにつれてグングンその評価が高まっていきコッポラも冨と名誉を
回復したのです。
ゴッドファーザーを二作とも大成功させて、自分の好きなように映画を作る
権利を手に入れたコッポラはこの作品に取り掛かりました。
がしか~し!東南アジアの大自然の猛威や政府やら俳優らの体調問題とわがまま
に散々振り回される中で奥さんのエレノアとも離婚されそうになったり、
難題につぐ難題が台風(ホンモノの台風で全セット崩壊)のごとく
やってくるのでした。
なんだか不吉な前兆はあった。
ジョン・ミリアスの書いてきた脚本がまずもって全然ダメ。
戦争アクション映画なんてオレは作らんぞ!と怒り心頭に達した
コッポラはミリアスを叩き出す。
アカデミー最優秀脚本賞を受賞している監督なので自信はある。
自分で脚本を全面書き直し始める。
結局書きながら撮影を平行して進めていくはめになった。
これがまたやばかった。
「ゴッドファーザー」で出会った成功の女神はコッポラに不吉な
微笑みを投げかけた。
才能に自信はあった。
なにせ映画史に残る鉄板の実績も出しているのだ。
しかし「ゴッドファーザー」はオレが撮りたくて撮った映画じゃなかった。
そうだ雇われ監督として、ハリウッド中にイタリア系アメリカ人がオレ以外に
いなかったから監督を抜擢されたのだ。だからお偉いさん方は選択の余地無しで
オレを雇ったのだ。だがこのオレはくだらない安っぽいアクションギャング
映画なんてこれっぽっちも作る気はなかったのだ。
どうせやるなら、黒澤明の様なあるいはトルストイやドストエフスキーの様な
ロシア古典文学に匹敵するような、大河ドラマを作るのだァ!と心底燃えて
取りかかったのだ。
自分には実績があるのだ。やりとげてみせる!
・・とコッポラが言ったかどうかは分からんが、とにかく・・
ギリシャ悲劇。神学。哲学。古典文学。心理学。アメリカで抱えている病。
戦争の狂気。アメリカ政府の矛盾。宗教問題。極限状況における人間の精神。
そう全てを詰め込んで。
そこに自分の人生の集大成を映画でアプローチをしようとした。
そして間もなく、行き詰り書けなくなっていった。
当然ままならない状況下の中、撮影日数も予算もオーバー。
映画の神様はまだまだ終らせない。
コッポラ自身の「ダンテの神曲」地獄巡りが続いた。
主演俳優のマーチン・シーンが過酷な撮影に耐えられずついに倒れ死にかける。
もう一人の主演マーロン・ブランドは台詞覚えてこないし役作りもしないくせに
撮影現場にやってきてわがまま言って超高額なギャラを請求してくる。
現場の状況を知った制作会社のお偉い方々が、中止を迫り
強烈な圧力をかけてくる。
とんでもないぞ!コッポラ。この映画は完成しない。
いますぐ中止せよ!お前は続けることはできない!
言うことを聞かないのならどうなるか分かってるな?
すでに自分の財産もつぎ込んで破産寸前。そのうえ訴訟による莫大な
損害賠償問題。
もう泣きっ面に蜂のコッポラは、どんだけ~!状態。
挙句の果てに拳銃を自分の頭に突きつける始末。
絶体絶命。
想像を超えた試練に継ぐ試練。
ああ、なぜだ?なぜなんだ?
神様はなぜこのような仕打ちをオレにするのか?
オレがいったいなにをしたというのか?
もうだめだ。ムリだ。手は尽くした。
万事休す・・・。
ジ・エンド。
コッポラの大学時代の友人ジム・モリスン率いる
ドアーズの「ジ・エンド」が
新宿プラザの劇場内に大音響でこだまする。
画面いっぱいに映し出されたベトナムの密林が炎上する。
13歳の映画少年はそれを目の当たりにする。
映画は完成されたのだ。
そうやりとげたのだ。
地獄から生還したのだ。
カンヌ国際映画祭グランプリ受賞。
しかし、空前の大ヒットはしなかった。
まことに微妙な興行成績ではあった。
映画とタイアップして、バンバン流れていた
サントリーウィスキー「リザーブ」のCMはカッコよかった。
ワグナー「ワルキューレの騎行」と映画とリザーブは
私の中で3点セットだ。
画面には物語が映し出されている。
しかし画面のそこかしこから漂ってくるのだ。
コッポラ自身が味わったものがだ。
観終わった時に、とても力が湧いてくる作品だ。
いや、どのような観方をしてもかまわないし。
観るたびに発見があり、その都度感じ方もまるっきり違うのだが。
元旦の夜は、こう感じた。
信念を持った男が様々な困難に遭遇し悪戦苦闘しながらなんとか対処していき
やりとげていくことを生々しくかつ身をもって教えてくれる映画なのだ。
*撮影秘話は私の勘違いと思い込みと妄想も多分に含まれているかもしれない。
しかし、それを含めて今私が感じているものを出したつもりです。