多くの人が訪れる鎌倉・江の島七福神巡りのコースは、JR北鎌倉駅で下車して浄智寺から廻る人が多いようです。浄智寺には七福神のうち布袋尊が祀られています。境内は先日のこのブログで案内していますが、布袋様は境内回遊コースの一番奥、やぐらの中に安置され、見るからに福々しいお姿から福運、大きなご利益があるといわれています。
この布袋様、10世紀ころ唐末の明州に実在されたとされる僧侶で、布施を受けながら経典などが入った大きな袋を背負い、街中を歩いていたといわれています。人の吉凶禍福、天気を予測すれば必ず的中させ、後世では弥勒菩薩の化身ともいわれていました。
浄智寺の布袋様は石造りで、何か言いたげに微笑んでおり、右手人差指はどこかを指しています。山門の「寶所在近」とも、曇華殿の弥勒菩薩とも、禅語の「直指人心」を語っているとか、人によって色々な見方があるようです。直指人心とは、「いろいろの方便、たとえば因縁や比喩などを用いず、すぐに人の心のありさまを指さすことをいう(『禅語散策』より)」ことらしいです。一方、山門の「寶所在近」は、本来目指すべき悟りへと導く手段として方便も生かされるとの意味であると、前に紹介したばかりです。どう解釈したらよいのか、禅問答をしているようで、よくわかりません。
この浄智寺。山門を入る前にある甘露の井の「甘露」。山門の「寶所在近」。鐘楼門の「山居幽勝」。曇華殿の「三世仏」。書院前の庭。四方竹の竹林。岩をくり貫いた洞門。行きつく先にある「布袋尊」。この回遊コースは、すべて悟りに至る修行のありさまを示しており、最後に布袋尊から「もう一度、一から修行を繰り返すか、大悟したかを自分の心に聞け」と問われているのではないかと・・・?。ちょっと解釈が飛躍しすぎましたか。みなさんはどう思われますか?