人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る ーー 五輪塔 ーー

2017-12-05 12:48:24 | 日記

鎌倉の背後の山には「やぐら」が多くあります。その「やぐら」には五輪塔が納められ、武士や僧侶のお墓といわれています。その五輪塔、地面に近い部分から、地輪(台石)、水輪(塔身)、火輪(笠石)、風輪(請花)、空輪(宝珠)の五輪からなり、小さなものは石の数では、風輪と空輪が一つの石で、たいがい四つの石で構成されています。

名越切通にあるまんだら堂では五輪塔の一つが説明用としておいてあり、お願いすればそ五輪塔を分解し構造を説明してもらえます。ガイドさんお話では、地輪の上部に穴が穿ってあり、その穴に骨を納めるとのこと。極楽寺の忍性塔もやはり地輪の底に二つの穴が穿ってあり、一つの穴に入れられた骨蔵器に忍性の遺骨が納められています。ということは、まんだら堂のやぐらにある五輪塔も間違いなく墓石と思われます。これだけの集団墓地、どんな一族?のお墓なのか興味は尽きません。

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鎌倉を知る ーー まんだら堂やぐら群 ーー

2017-12-05 10:09:38 | 日記

鎌倉から逗子への道、名越切通を登り切った先に「まんだら堂やぐら群」があります。逗子市が管理していますが限定公開中なので行ってきました。ただこのやぐら群は、やぐらの中に「五輪塔」が多く残され、人骨も見つかっていることからお墓であることは間違いないと思いますが、いつごろ、誰が造ったのかはよく分かっていません。

京都に鳥辺野というところがありますが、北の蓮台野、西の化野とともに三大憤墓地となっています。場所は東海道沿いの蹴上の先、京都の中心部からは東のはずれにあたります。まんだら堂も鎌倉の東側で七口の一つ、名越切通にありますので、造成者は京都の鳥辺野を意識したかどうか?結論がありませんので、素人は想像して推論するしかありません。

そしてもう一つ。お墓を造る目的で山を掘削したとしたら、墓の数とその労力を天秤にかけると、ちょっと割に合わない工事となります。そう考えると、別の目的で山を削ったあとの壁面を利用してやぐらとし、そこに五輪塔を納め、墓としたのではないかと推測されます。では何か。敵からの防御目的で「平場」を造ったか、鎌倉石を切り出した後を利用したか、そのどちらか、あるいは両方ではないでしょうか。

最近の研究では、このまんだら堂やぐら群の先、仏性寺の裏にある「お猿畠の大切岸」は防御施設ではなく、鎌倉石の石切り場の跡ではないかといわれるようになりました。

以上はあくまで私見です。どんな身分の人が埋葬されていたのか、興味は尽きません。

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