鎌倉の瑞泉寺の山門前には吉野秀雄(1902-1967)と山崎方代(1914-1985)の歌碑が仲良く建っています。このブログでも以前に吉野秀雄の歌碑のことは紹介しました。その頃はまだ山崎方代との関係もよく知らず、方代の歌碑は見過ごしていましたが、吉野秀雄の歌集『含紅集』を読み返すと、二人の交流の様子が知れるいくつかの歌がありましたので紹介します。一つは、亡くなる1年前の昭和41年のもの。あとは未定稿・最後の歌ふたつ。
われ死なば山崎方代かなしまむ失恋譚の聞き手失くして
日雇ひにひと日あぶれし方代が摘みし山菜に春蘭まじる
わがために春の菜採ると山沢を駆けめぐる君人かそも魔か
吉野秀雄からみれば年齢が一回り違う方代ですが、これらの歌からは、病床を訪ね見舞う方代の姿や方代に注がれる深い愛情が感じられます。
一方、瑞泉寺にある山崎方代の歌碑は、
手の平に豆腐をのせていそいそといつもの角を曲がりて帰る
山崎方代は戦争で負傷し、傷痍軍人として各地を放浪し、晩年は鎌倉の手広に暮らしました。けっして恵まれた暮らしをしてはいなかったと思いますが、吉野秀雄の歌からはいつも手土産を持って訪れる様子が覗われ、方代の律儀な人柄が感じられます。