日向薬師を参拝しました。このお薬師さん『吾妻鏡』にもたびたび登場します。ということは、鎌倉時代よりまえ平安時代以前に日向薬師が存在したという可能性は否定できません。寺の縁起によりますと、
この寺は元正天皇の霊亀二年(716)二月行基菩薩が開創したと伝えられ、霊山寺と呼ばれておりましたが後に宝城坊と呼ばれるようになりました。今では日向薬師と略称され、世に広く知られ親しまれています。本尊は行基菩薩が四十二才のと一刀三礼のもとに彫り安置されました薬師如来であります。(中略)鎌倉時代にはいっては将軍頼朝自らが参詣し、室政子に至っては数回参詣しています。即ち建久三年(1192)政子安産祈願のため、建久五年(1195)頼朝参詣、建暦元年(1211)には政子並びに実朝室参詣云々・・・。
歴史のあるお寺で、宝物殿に安置されている諸仏がすばらしい。本尊の薬師三尊、十二神将像、阿弥陀如来像などの多くは国の重要文化財に指定されていますが、目の前で見ることができます。残念ながら行基菩薩の薬師如来はお厨子のなかで拝むことが叶いませんでしたが、毎年4月15日の例祭の日には御開帳されるとのことで是非訪れたいと思います。
宝物殿では受付の方にいろいろと話を伺うことができました。修験道でもある行基菩薩は金や水銀、銅や鉄の金属を求めて全国を行脚したのではないか。丹沢の地名は昔、「丹」(水銀)が採れたからついた名前で金も産出していたようだ。空海の祖先は朝鮮半島から渡来した鉱山関係者で、空海自身採鉱技術に詳しかったとか。大山寺の鉄不動明王はこの日向薬師を通り大山に運ばれとか。とにかく面白い話がたくさん聞けました。妄想の世界かもしれませんが、実に楽しい時間が過ごせました。
写真は日向薬師(宝城坊)ですが周辺には、曹洞宗の石雲寺、天台宗の浄発願寺、浄発願寺奥ノ院など見どころがあります。これは別にフォトアルバムで紹介しますのでご覧ください。