一条恵観山荘は鎌倉市浄明寺にあります。金沢街道沿い、滑川も上流に近く、その流れは京都の貴船のせせらぎに似て、なんとも風情があります。もともと西加茂から移築した茶屋で、後陽成天皇の第九皇子であった一条昭良(恵観)の別荘として1646年頃に建てられました。移築されてから国の重要文化財に指定されていますので、往時の姿を留めています。また庭園はこの地に移築されたあと整備されたものですが、滑川の流れを上手く利用しており、そんなに広くない敷地ですが、ひとときちょっと贅沢な気分に浸れます。
さてこの山荘を造った一条恵観という人、はじめて聞く名前ですが後水尾天皇の弟。後水尾天皇は京都の修学院離宮を造った天皇。その物語をNHKの「歴史秘話ヒストリア」でやっていましたので、なんとなく記憶していました。時代は江戸時代初期に遡ります。徳川家康は秀忠の末娘徳川和子(まさこ)を後水尾天皇の中宮にすることを画策し、なんとかその道筋を作りますが、嫁ぐ前の元和二年(1616)に亡くなってしまいます。元和六年(1620)にようやく和子は女御として入内、寛永二年(1625)には皇子である高仁親王が誕生しますが2歳で夭折。どうも徳川幕府と後水尾天皇の関係は上手くいかず、ついには嫌気がさした天皇は寛永六年(1629)に和子との次女である興子内親王(明正天皇)に譲位し、院政をはじめてします。当然に女帝は生涯独身。徳川の血が天皇家に入ることは叶いませんでした。
ところで嫁いだ徳川和子はどうなったのでしょうか?最初は馴染めず苦労したようですが、次第に宮廷にも馴染み、互いに文化の世界で生きる決意をし、2人で自由に生活できる楽園を築くことを考えました。それが今も名園として多くの人を楽しませる修学院離宮です。その同時代に弟である一条恵観は一条恵観荘を造りました。それが今鎌倉にあるとは不思議な縁です。