東慶寺の山門の階段下に夏目漱石の「参禅100年記念碑」があります。その記念碑には『初秋の一日』の抜き書きが載せられ、漱石ファンなら一度は読んだことのある文章です。漱石が中村是公と大塚信太郎の二人の友人とともに東慶寺の住職である釈宗演を訪ね、15年前の参禅の記憶を懐かしむ様子が漱石らしく書かれています。
その『初秋の一日』には記念碑に載せられていないところもあり、その部分も大変興味深いので、ちょっと紹介させていただきます。漱石が東慶寺を訪ねたのは明治45年9月11日。あいにくの雨の一日。その雨も身にまとわりつくような糠雨。鎌倉駅から人力車で護謨合羽を用意して東慶寺に行きました。文中に「彼らはその日の侘しさから推して、二日後に来る暗い夜の景色を想像したのである」とあります。二日後は9月13日ですが、何の日か想像ができません。最後に「御大葬と乃木将軍の記事で、都下で発行するあらゆる新聞の紙面が埋まったのは、それから一日おいて次の朝の出来事である」と。ここではじめて明治天皇の大喪の礼が9月13日に執り行われたのがわかりました。
そして夏目漱石の肖像写真で良く使われるが腕に喪章を付け、悲しげな表情で椅子に寄りかかっている写真です。この写真の撮影日は1912年9月13日とウイキペディアにありました。漱石が45歳の時の肖像写真です。漱石が生まれたのは慶応三年2月9日ですから、まさに漱石は明治とともにこれまで生きてきたことになります。写真の表情は「悲しげ」というよりも、「感慨深い」思いに浸っている表情かもしれません。
『初秋の一日』の短い文章の一つでこれだけ妄想が広がるとは。漱石恐るべしです。