人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

故郷への想い ー善照寺砦ー

2020-06-08 05:42:29 | 日記

昨晩の「麒麟がくる」を観て思わず書きました。織田信長が今川義元の大軍を約三千の手勢で破った桶狭間の合戦の放映日でした。それからの日本の歴史を変えたかもしれないこの一戦は、歴史ファンなら誰でも知っています。ただそのなかで私は格別な思いでテレビの前に噛り付いていました。何故でしょうか?桶狭間の合戦は過去の大河ドラマでも定番のシーンですが、とりわけ今回の「麒麟がくる」では、さして有名でない善照寺砦が歴史を変えた場所の一つとしてクローズアップされていたからです。番組最後で現在の様子が放映されたときには・・・。半世紀以上前の記憶が鮮やかに蘇りました。

永禄三年(1560)5月19日(陽暦6月22日)桶狭間の合戦の当日、織田信長の軍勢は善照寺砦に集結し、今川義元本陣の兵力を推し量りながら、信長は決戦の決断を下します。この戦で信長は運を天に任せた無謀な賭けに出たのではなく、ギリギリまで戦況を見極め戦ったと言われています。これは昨晩の「麒麟がくる」の展開や司馬遼太郎が書いた『濃尾三州記』の記述でも明らかです。大げさに言えば、善照寺砦は歴史に名を残す場所の一つとして、ピンポイントで脚光を浴びた訳です。

その善照寺砦があるのは名古屋市緑区鳴海町。かくいう私が生まれ育ったのはこの砦から直線距離で300m位東南の宿地という字名の場所。460年前に織田信長がいたであろうこの高台に小学生だった6年間、集団登校のために集合し、鳴海城近くの小学校に通学していました。さらに『濃尾参州記』で司馬遼太郎が訪ねた名古屋市立緑高校は、もとは3年間通った鳴海中学校のあったところで、毎日桶狭間方面を眺め過ごしていました。これほどまでに歴史を身近に感じることができるとは、なんとも不思議なご縁です。

写真は数年前に写した鳴海町の祭りの様子。故郷を離れ50年経った今、手元にあった1枚です。こんなに熱い思いで語れる故郷がある幸運をしみじみ感じています。

 

 

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