円覚寺正続院山門の潜戸を抜け、雲水が禅堂に吸い込まれていきます。その潜戸のそばに「臨済録提唱」と書かれた板が掲げられ、俗世と修業道場を隔てた神聖で近寄りがたい雰囲気を醸し出しています。ガイドをしている時には、国宝舎利殿の説明が中心で、この『臨済録』そのものに注目することは殆どありませんでした。この自粛期間中に岩波文庫の『臨済録』(入江義高訳注)に眼を通す時間があり、その世界を垣間見ることができました。
『臨済録』は唐代末期(9世紀)に臨済慧照禅師の語録を、弟子の慧然が編集し、さらに時代が下り北宋時代(1120年頃)に円覚宗演が重刊したものが現在に伝わっています。『臨済録』といっても、もともと臨済宗の聖典ではありません。臨済が布教した唐代末期は、宦官の台頭や官僚間の派閥抗争で内政は荒廃し、農民や兵士の反乱が頻発するような時代です。政治が安定していた則天武后が治めた時期には華厳経のような崇高な理念をもった教えがもてはやされますが、世が乱れた時代には衆生(悩める人間)を救う教えが必要になります。臨済は過去の教えが書かれた経典や古人の言葉を鵜呑みにすることを否定し、「仏もなく、法もない」、「求道者は、外にも内にも求めるな」、「平常無事」であればよいとし、無依の道人たる君たちこそが、諸仏の母なのであると教えました。『臨済録』にはこういったことが縷々書かれているのですが、俄か勉強の者にとても理解できる筈もなく、「示衆」の途中でギブアップしました。ただ「示衆 八」にあった次の言葉は心に残りました。
大丈夫児、ひたすら主を論じ賊を論じ、是を論じ非を論じ、色を論じ財を論じ、愉悦閑話して日を過ごすこと莫れ。
この本の訳によれば「いっぱしの男子たるものが、やたら政治むきのことをあげつらったり、世間の是非善悪を論じたり、女や金の話など、むだ話ばかりして日を過ごしてはならぬ」というものです。
つい最近までの新型コロナ禍のなか、政治家はじめタレントや芸人や芸術家と称する人たちが、にわか仕込みの情報をもとに、テレビやSNSなどを利用して話しているのを視聴していると、聞くに堪えません。自分が一度でも発した言葉は謝罪などでは取り消せず、墓場に入る時まで残るものだと肝に銘じてもらいたいものです。