
二階堂にある覚園寺を訪ねました。覚園寺について今回特に紹介したいのは、愛染堂に祀られている愛染明王、阿閦如来像、不動明王の三体の像のうち「願行上人の試みの不動」と言われる一体の鉄仏です。鉄で出来た仏様は奈良や京都にはなく鎌倉独特のものだそうです。鶴岡八幡宮近くにある「鉄の井」の鉄観音のことは以前聞いたことがあり。鉄で出来た仏像もあるのかと不思議に思っていたのですが、覚園寺の不動明王をまじかに見て改め鉄仏に興味を持ちました。
『かまくら子ども風土記』に覚園寺の不動明王のことが詳しく書かれています。それを見ますとこの鉄仏は13世紀後半に鎌倉で造られたもののようで、鎌倉市内の十二所に鑪ケ谷(いろりと書きタタラと読む)という場所があり、そこに鋳造所があったようです。では原料となる砂鉄はどこから持ってきたのでしょうか?これも推測ですが、稲村ケ崎から七里ヶ浜にかけての海岸の浜砂鉄を使ったのではないかと思われます。実際、鎌倉高校でこの浜砂鉄から鉄を作る実験をしたとの記事を見ました。覚園寺の不動明王は像高50センチ位、重量は117キロ。像の側面には鋳型のバリがあり、中は空洞ではなく、鉄の塊になっていますが、いったい何のためこの鉄仏を試作したのでしょう。時代背景を考えますと元寇の時期に重なり、興味は尽きません。
以前広島に住んでいたとき、島根県の中国山地にある「たたら」を見学しましたが、この「たたら」は出雲地方固有のものと思っていました。もし鎌倉で「たたら」による鋳造が行われていたら興味深いですね。中世の鎌倉は結構産業が発達していたのではないでしょうか?もっとクローズアップされても良いのかと思われますが、いかがでしょうか。
もう一つ。インターネットでみた日立金属の「たたら」の紹介文書の中に「安来港から見える中海と大山」の写真が掲載されていましたが、この写真が稲村ケ崎から見る富士山の写真にそっくり。もし工人が出雲から来ていたとしたら・・・。
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