人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る ーー鎌倉アカデミアと吉野秀雄ーー

2016-05-20 12:37:13 | 日記

「鎌倉アカデミア」は終戦から間もない1946年5月に材木座の光明寺に市民大学として開校されました。鎌倉在住の小説家、詩人、評論家などが教授陣として名を連ね、閉校する1950年までの4年間に学んだ学生は約800人ほど。いずみたく、山口瞳、前田武彦、鈴木清順ら数多くの文化人を輩出しました。今年は開校して70周年とのことで、様々なイベントが企画されています。これを機会にちょっと勉強してみました。

この教授陣の中に吉野秀雄(明治35年7月~昭和42年7月)という歌人がいます。私がこの名前を知ったののは、瑞泉寺にある歌碑をみてからです。

  「死を厭ひ生をも懼れ人間の揺れさだまらぬ心知るのみ」

この歌を詠んだときの吉野秀雄の思いが知りたく、作者の歌集を探し求めていましたが、先日神田の古本屋街で『含紅集』という吉野秀雄最後の歌集に巡りあいました。不思議なもので、探し求めている本は本自らからサインを送ってきます。数十軒ある店のうちの一軒、店に数千冊ある本の一冊。ふと視線を落とした先で見つけた時の何とも言えない感慨・・・。

何はともあれ、瑞泉寺の歌が詠まれたのは昭和39年。あとがき(昭和41年9月8日)の一節には 「わたしは二十三歳以来の病弱者であるが、まったく動けなくなった晩年の病臥生活は、昭和三十七年三月からで、ここに満四年半を経た。そしてわたしが今年数へ年六十五であることについて、よくもここまで生きられたものとする感懐の方が強い」 とあります。若いころ結核にかかり、リウマチや糖尿病で病床についていた晩年。一つでも多く歌を作りたいという気持ちが65歳まで生かしたのかな と思います。

  「わが宿の白梅の花のさかりなり雨気空の墨くるしくて」 (『含紅集』掲載最後の歌)

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