人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る ーー 大国祷会成満祭 ーー

2017-02-12 17:10:34 | 日記

2月11日。材木座にある長勝寺で行われた「大国祷会成満祭」を見学しました。千葉県市川市にある法華経寺の道場にこもり、百日の間「寒の荒行」を積んできた修行僧がこのお寺で最後の水行を行います。午前10時30分に「水行」という掛け声と鐘の音を合図にはじまり、うちわ太鼓に導かれた6人の修行僧が褌一枚となり水行場で、経文を唱えながら手桶の水をかぶるのですが、裸の体はみるみる紅潮し、湯気が立ち上ります。水行を終えた修行僧の達成感あふれる清々しい表情が印象的でした。

さて長勝寺のあるこのあたりは、安房から鎌倉に入った日蓮が初めて草庵を結んだところとして知られ、鎌倉時代は大町の妙法寺、安国論寺ある松葉ヶ谷を含め日蓮が約20年間過ごし、『立正安国論』の著作や、「松葉ヶ谷の法難」の舞台となった聖地となっています。

百日間の厳しい荒行に耐えた修行僧の一念は、750年以上も前に日蓮が憂国の想いで書き上げ、死をも覚悟して時の執権である北条時頼に提出した『立正安国論』の実践でしょうか。強い意思が感じられました。『立証安国論』に「まず国家を祈って須(すべか)らく仏法を立つべし」。また「仏法を宣揚するにあたって真っ先に願うべきことは、仏法存続の基盤である国土と人民の安泰でなければならない」という文章(『日蓮 立正安国論』 佐藤弘夫)があります。権力者(北条得宗家)の仕事は国家を正しく治めることだと言い、批判している訳ですから、現代ならともかく鎌倉時代にあっては決死の覚悟での建白だったと思います。

それにひきかえ、今の時代は良いですね。大衆に迎合した心地よい意見を述べていればいいのですからお気軽です。経文を唱え、粛々と水をかぶる修行僧をみると、なんか恥ずかしくなりました。

 

 

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鎌倉江の島 七福神 ーー浄智寺ーー

2017-02-07 15:41:49 | 日記

多くの人が訪れる鎌倉・江の島七福神巡りのコースは、JR北鎌倉駅で下車して浄智寺から廻る人が多いようです。浄智寺には七福神のうち布袋尊が祀られています。境内は先日のこのブログで案内していますが、布袋様は境内回遊コースの一番奥、やぐらの中に安置され、見るからに福々しいお姿から福運、大きなご利益があるといわれています。

この布袋様、10世紀ころ唐末の明州に実在されたとされる僧侶で、布施を受けながら経典などが入った大きな袋を背負い、街中を歩いていたといわれています。人の吉凶禍福、天気を予測すれば必ず的中させ、後世では弥勒菩薩の化身ともいわれていました。

浄智寺の布袋様は石造りで、何か言いたげに微笑んでおり、右手人差指はどこかを指しています。山門の「寶所在近」とも、曇華殿の弥勒菩薩とも、禅語の「直指人心」を語っているとか、人によって色々な見方があるようです。直指人心とは、「いろいろの方便、たとえば因縁や比喩などを用いず、すぐに人の心のありさまを指さすことをいう(『禅語散策』より)」ことらしいです。一方、山門の「寶所在近」は、本来目指すべき悟りへと導く手段として方便も生かされるとの意味であると、前に紹介したばかりです。どう解釈したらよいのか、禅問答をしているようで、よくわかりません。

この浄智寺。山門を入る前にある甘露の井の「甘露」。山門の「寶所在近」。鐘楼門の「山居幽勝」。曇華殿の「三世仏」。書院前の庭。四方竹の竹林。岩をくり貫いた洞門。行きつく先にある「布袋尊」。この回遊コースは、すべて悟りに至る修行のありさまを示しており、最後に布袋尊から「もう一度、一から修行を繰り返すか、大悟したかを自分の心に聞け」と問われているのではないかと・・・?。ちょっと解釈が飛躍しすぎましたか。みなさんはどう思われますか?

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鎌倉を知る ーー 浄智寺 ーー

2017-02-05 16:55:15 | 日記

北鎌倉の円覚寺から東慶寺を過ぎた先に浄智寺があります。静かな禅寺の雰囲気がよく、人気のお寺です。この浄智寺、若くして亡くなった北条宗政の菩提を弔うため、宗政夫人とその子師時によって弘安四年(1281)に建てられました。開山は兀菴普寧、大休正念、南洲宏海の三人となっています。北条宗政は北条時頼の子で8代執権の北条時宗とは同腹の兄弟。その婦人は北条政村の娘です。実際にこの浄智寺が創建された時には、兄である北条時宗と一族の意向が強く反映されたものと思われます。

まず山門の手前にあるのが甘露の井。鎌倉十井の一つです。甘露とはサンスクリット語でアムリタ。不死、天酒という意味で、仏教では苦悩を癒し、長命ならしめ、死者を蘇らせるという、最高の滋味に譬えられています。そして山門からの景色が素晴らしく、鎌倉石の石段の先に観る鐘楼門の姿は心が落ち着きます。山門の扁額には「寶所在近」の文字があり、無学祖元が書いたともいわれています。調べてみると『法華経』の「化城喩品」にある言葉。悟りをもとめる旅にでた人々が疲労困憊し旅をやめようとすれば、導師は化城をつくり、一息ついて気力が蘇れば化城を消してしまう。ささやかな喜びやご加護的ご利益は本来の悟りではないが、本来目指すべき悟りへと導く手段として方便も生かされるということらしいです。北条宗政の兄である時宗は熱心に法華経を学んだようですが、自分を励ます言葉として選んだかもしれませんね。

鐘楼門をくぐれば曇華殿。ご本尊の三世仏が祀られています。この三世仏の本尊はめずらしく、そのためこのお堂は三千年に一度しか咲かない「優曇華の花」に由来して名前がつけられました。洒落ています。三世仏は、阿弥陀如来(過去)、釈迦如来(現在)、弥勒菩薩(未来)ですが、過去から未来にわたって願いを聞き入れてくれる大変ありがたい仏様です。曇華殿をお参りして、さらに四方竹が生えた竹林を過ぎれば七福神の布袋様に行きつきます。その話は別の機会にしましょう。

 

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