人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る --畠山重忠と永福寺跡--

2022-07-23 19:45:53 | 日記

先日埼玉県深谷市からのお客さんにガイドする機会に恵まれました。先方からは、鎌倉市内にある畠山重忠・重保の旧跡を訪ねたいというリクエストでした。早速畠山重忠に関する資料を探し、人物叢書の『畠山重忠』(貫 達人著 吉川弘文館)を読み、インターネットの検索で『畠山重忠辞典』(深谷市教育委員会編)を見つけました。この『畠山重忠辞典』は優れモノでこの冊子がなければ、お客さんが納得する案内が出来たかどうか・・・?文章は少ないのですが、関係年表、重忠ゆかりの地、重忠ゆかりの品などが詳細に調べられています。さすが渋沢栄一が生まれた場所だけあって、内容に無駄がありません。助かりました。

さて前置きはさておき本題に入りましょう。『吾妻鏡』建久3年(1192)9月11日の条には、次の文章があります。

静玄(阿波阿闍梨静空の弟子)、堂前(二階堂、現永福寺跡あった寺院) の池に石を立つ。将軍家、昨夜より行政(二階堂行政)が宅に御逗留。この事を覧んがためなり。汀野の埋石、金沼汀野筋、鵜会石島等の石、ことごとくもって今日これを立て終わる。沼石ならびに形石等に至りては、一丈ばかりなり。静玄が訓をもって、畠山次郎重忠一人これを捧げ持ち、池の中心を渡り行きてこれを立て置く。観る者その力に感ぜずといふことなしと云々。

畠山重忠の怪力のエピソードを載せた箇所ですが、永福寺跡に行きますと、その大石を見ることができます。確証はないのですが、多分それだと考えられる石を写しましたのでご覧ください。復元された池の後方にひっそりと置かれていました。

 

 

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鎌倉を知る --今年も咲きました永福寺跡の中尊寺ハス--

2022-07-14 20:15:06 | 日記

昨年もブログで紹介しましたが、生憎フェンス越しの撮影でしたので、もっと近くで見れるチャンスを狙っていましたが、7月10日(日)に開花した姿を写すことができました。

このハスは「中尊寺ハス」と紹介されています。以前紹介した通り、中尊寺金色堂のある2019年4月に岩手県平泉町から鎌倉市に贈られたものです。今年の大河ドラマ「鎌倉殿と13人」でも源頼朝の奥州合戦の様子が放映されていましたので、ご存じの方も多いかと思います。源頼朝は文治五年(1189年)7月19日に奥州に向けて進発し、一月後に奥州藤原氏の本拠地平に侵攻し、藤原泰衡の敗死を確認したのち、10月24日には鎌倉に帰着しました。この中尊寺ハスは、昭和25年(1950年)の金色堂の発掘調査で泰衡の首桶から発見された約100粒の蓮の種を、大賀ハスで有名な大賀一郎博士の門弟が約760年経て開花させたものです。

この紅蓮が開花すると、遠い昔に奥州平泉で亡くなった源義経や藤原泰衡のことが偲ばれます。故人を供養するために建てられた永福寺も今は基壇が復元されているだけ。その様子はCGで再現されており、美しい姿をイメージできますが、頼朝の奥州攻めで亡くなった義経や泰衡の無念さを実感することは難しいのではないでしょうか。今は鉢に植えられた一株ですが、毎年開花する紅蓮は760年の時間を超えて亡くなった人の思いを届けてくれるような気がします。大切に育て、後世に残したいものです。

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