先日、豊橋の吉田城を見に行った際に、歴代の城主の中に戸部氏という人物がいるとの記述を目にしていた。
名古屋市緑区に戸部氏の碑があると聞き、行ってみると、戸部新左衛門が吉田で暗殺されたという説明文がある。先日の文が頭に残っていたから、すっかり吉田城主が暗殺されたのだと思った。
これが勘違い。
調べてみると、吉田城の城主であったのは、戸部氏ではなく、戸田氏であった。
天文六年(一五三七年)に吉田城主となった戸田金七郎宣成という武将であり、天文一五年(一五四六年)まで城主を勤めている。
一方の殺害された戸部氏は、戸部新左衛門政直。新左衛門殺害の経緯を調べると、黒幕は、織田信長。
新左衛門は、もともと信長の家臣であったが、義元有利とみるや、今川側についた。これを知った信長の怒りは大きかった。
信長は、義元側が内部から瓦解することを狙って新左衛門の筆跡を真似て偽の手紙を作成し、わざと義元の目に触れるようにした。新左衛門が再び信長方に寝返るような内容の手紙である。この手紙を読んだ義元は、新左衛門に釈明の余地も与えずに斬り捨ててしまう。
勢いに乗った信長は同じような風評作戦を再び使用し、笠寺城主の山口教継をも、義元に殺させている。
似たようなケースが連続して起こったので、新左衛門と教継を同一人物だとする説もあるが、粘着気質のある信長のことである。これでもか、という作戦は、信長らしいように思えるし、実際には、よく分からない(ウィキペディアでは、戸部新左衛門を笠寺城主としている)。
いずれにせよ、これでは、義元側の部下は、命賭けで就いていく気にはなれない。
桶狭間の戦い以前に勝敗はついていたとも言える。
さらに調べていくと、NHKで放映されている「忍たま乱太郎」に同名の戸部新左エ門なる人物が出ている。
どうして、このようなマイナーな人物がモデルとなっているのかと思っていたら、「忍たま乱太郎」の作者尼子騒兵衛氏の友人が戸部氏の子孫であったからと言う。尼子氏は、、時代考証家の名和弓雄氏に教えを請うていたし、いかにも、通好みの設定である。
今回の件では、自分としては二転三転した新しい知識が入って面白かった。
吉田城趾は、豊橋公園として整備され、豊橋市役所もこの地にある。昭和29年には隅櫓が再建された。
今回は携帯の画像を利用したら、サイズが大きくなった。これくらいのほうが、見やすいかも。
新左衛門の碑のある地には、大きな楠があり、目の前は幼稚園。地域の人が花を添えているようで、何となく暖かい雰囲気であった。
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名古屋市緑区に戸部氏の碑があると聞き、行ってみると、戸部新左衛門が吉田で暗殺されたという説明文がある。先日の文が頭に残っていたから、すっかり吉田城主が暗殺されたのだと思った。
これが勘違い。
調べてみると、吉田城の城主であったのは、戸部氏ではなく、戸田氏であった。
天文六年(一五三七年)に吉田城主となった戸田金七郎宣成という武将であり、天文一五年(一五四六年)まで城主を勤めている。
一方の殺害された戸部氏は、戸部新左衛門政直。新左衛門殺害の経緯を調べると、黒幕は、織田信長。
新左衛門は、もともと信長の家臣であったが、義元有利とみるや、今川側についた。これを知った信長の怒りは大きかった。
信長は、義元側が内部から瓦解することを狙って新左衛門の筆跡を真似て偽の手紙を作成し、わざと義元の目に触れるようにした。新左衛門が再び信長方に寝返るような内容の手紙である。この手紙を読んだ義元は、新左衛門に釈明の余地も与えずに斬り捨ててしまう。
勢いに乗った信長は同じような風評作戦を再び使用し、笠寺城主の山口教継をも、義元に殺させている。
似たようなケースが連続して起こったので、新左衛門と教継を同一人物だとする説もあるが、粘着気質のある信長のことである。これでもか、という作戦は、信長らしいように思えるし、実際には、よく分からない(ウィキペディアでは、戸部新左衛門を笠寺城主としている)。
いずれにせよ、これでは、義元側の部下は、命賭けで就いていく気にはなれない。
桶狭間の戦い以前に勝敗はついていたとも言える。
さらに調べていくと、NHKで放映されている「忍たま乱太郎」に同名の戸部新左エ門なる人物が出ている。
どうして、このようなマイナーな人物がモデルとなっているのかと思っていたら、「忍たま乱太郎」の作者尼子騒兵衛氏の友人が戸部氏の子孫であったからと言う。尼子氏は、、時代考証家の名和弓雄氏に教えを請うていたし、いかにも、通好みの設定である。
今回の件では、自分としては二転三転した新しい知識が入って面白かった。
吉田城趾は、豊橋公園として整備され、豊橋市役所もこの地にある。昭和29年には隅櫓が再建された。
今回は携帯の画像を利用したら、サイズが大きくなった。これくらいのほうが、見やすいかも。
新左衛門の碑のある地には、大きな楠があり、目の前は幼稚園。地域の人が花を添えているようで、何となく暖かい雰囲気であった。
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