木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

ラジオの人生相談

2010年10月10日 | 日常雑感
この頃、仕事で運転することが多くなったせいで、AMラジオを聞くことも多くなった。
先日、静岡を走っていたとき、聞いたラジオで人生相談が放送されていた。
公開の場で、自分の人生の相談をする神経というのは、よく分からない。
相談相手が高名な人間であるから、たとえ公開であっても、価値があると思うのだろうか。

今回の相談は、「別れた妻と同居している息子が中学校でいじめに遭っているらしいが、どうしたらいいだろうか」という問い。
何とはなしに聞いていると、養育費も出していない。
金は出さないけれど、口は出したい、というところだろうか。
ちょっと都合がいいんじゃないか、と思ったが、回答者の言葉はもっと手厳しい。
「あなたは、自分の人生に対して真剣味がない」
「他人事のようだ」
「元妻との人間関係を中心に考えており、子供に基軸を置いていない」
そして、結論は、
「遠くからそっと見守るだけにするべきだ」
という答え。
多分、この答えが正解なのだと思う。
しかし、何と言うのだろうか、人生の円熟期に入り、成功者の仲間入りをしている回答者の上段に振りかぶった言い方。
「おまえは、みのもんたか!」と言いたくなった。

回答者が最後に言っていた。

「人の言動にいちいち心を動かされてしまうこと。それを自立していない、と言います」

なんとなく、その場は言うとおりだなあ、と思ったが、そのあと考えると、私自身、人の言動にいちいち心を動かされてしまう人間だと気がついた。
自立していないんだなあ、とも思うけれど、人の言動にいちいち心動かされてしまうのが、人間なのではないだろうか。
霞を食べて生きている仙人ならともかく、私も含めて普通の庶民は、日々の些細なことに一喜一憂しながら生きている。

それが、人の言動にいちいち心を動かすな、とは余りにも大御所に立った物言いではないだろうか。
この回答者は東京六大学の教授でもあり、多くの著書を持つ「文化人」である。
日本人は、「文化人」「先生」と言った言葉に弱い。
「文化人」と言っても一方向に優れただけであって、「学者ばか」と呼ばれる人間も多いはずなのに、なぜかくも有り難がってしまうのだろう。

少なくとも、私は人の言動にいちいち心動かされてしまう「自立していない人間」だ。
当分は、それでも仕方ないと思ってるし、それが、自分だとも思っている。

人の言動にいちいち心動かされなくなること。それを老化と言う。 by 木村
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