今、ブログ友さんの愛犬が病気で 何とか散歩は出来ているのだが状態は良くないらしい。
そのことを布団の中で考えていたら、昔 家で飼われていた犬のことを思い出した。
私が物心ついた時には既に物置の隅を犬小屋に改造されて住んでいたので私よりは先輩になる。
家の誰が犬好きで飼うことになったのかは知らないが、鎖で繋がれた犬は
『愛子』と呼ばれていた。だからメスであることは間違いない。
何故『愛子』なのか。
昔ならポチとか付けそうなものだが、今風に云えば もしかしたら父の元カノの名前なのだろうか(笑)
確かアイヌ犬と云う種類のキツネ色の中型犬で 良く吠えた。
アイヌ犬の特徴なんて私にはわからないが、寒いだろうと犬小屋の中に布団を入れてやると全部食いちぎって外へ放り出したので、
それからは 寒い日でもムシロだけで過ごしていたように思う。
食べ物は余った御飯に魚の骨や味噌汁をかけた猫マンマのようなものを与えられていたことから、もしかしたら残飯処理係だったのだろう。
当時、ドッグフードなんてハイカラなものは無かったのだが、ある日 骨の形をした犬用の餌を見つけて買い与えたら もう走りまわって喜んでいた。
いくら犬でも同じ猫マンマだけを食べていたので飽き飽きしていたのかも知れない。
家は商売をしていたので なかなか散歩に連れて行ってもらえないのだが、父に許しを得て鎖を繋ぎ犬小屋から連れ出したのだが、もう嬉しくて狂ったように私をグイグイ引っ張るので 子供の私はすっかり体力負けし 散歩は数分で終わった。
以後、散歩は日課とはならず、気の向いた時だけの行事となったが、鎖を持って行くだけで狂ったように喜ぶ様に変わりはなく 暴れる分だけ私には重荷となった。
多分、10歳は越えていたのだと思うが、ある日元気が無いと母が云うので元気付けてやろうと散歩用の鎖を持って行ったのだが 嬉しそうに尻尾をパタンパタンと振るものの起き上がることは無く、それから数日後に亡くなった。
母が 首輪を外してやり「さぁ、もう自由だよ。好きな所へ行きなさい」と言っていたのが強く記憶に残っている。
二代目の犬は たしか雑種の「チビ」だ。黒い犬だったように思う。
これは小さいので、私でも力負けしなかった。
オスで、道の角や電信柱があるとヒョイと片足を上げて小刻みに小便をした。
犬の習性なのだろうが、片足を上げるのが私には不思議で、帰宅してから家の庭でヒョイと片足を上げて試してみたのだが 私には上手くはできなくて、以後、片足を上げるのは諦めた。
そのことを布団の中で考えていたら、昔 家で飼われていた犬のことを思い出した。
私が物心ついた時には既に物置の隅を犬小屋に改造されて住んでいたので私よりは先輩になる。
家の誰が犬好きで飼うことになったのかは知らないが、鎖で繋がれた犬は
『愛子』と呼ばれていた。だからメスであることは間違いない。
何故『愛子』なのか。
昔ならポチとか付けそうなものだが、今風に云えば もしかしたら父の元カノの名前なのだろうか(笑)
確かアイヌ犬と云う種類のキツネ色の中型犬で 良く吠えた。
アイヌ犬の特徴なんて私にはわからないが、寒いだろうと犬小屋の中に布団を入れてやると全部食いちぎって外へ放り出したので、
それからは 寒い日でもムシロだけで過ごしていたように思う。
食べ物は余った御飯に魚の骨や味噌汁をかけた猫マンマのようなものを与えられていたことから、もしかしたら残飯処理係だったのだろう。
当時、ドッグフードなんてハイカラなものは無かったのだが、ある日 骨の形をした犬用の餌を見つけて買い与えたら もう走りまわって喜んでいた。
いくら犬でも同じ猫マンマだけを食べていたので飽き飽きしていたのかも知れない。
家は商売をしていたので なかなか散歩に連れて行ってもらえないのだが、父に許しを得て鎖を繋ぎ犬小屋から連れ出したのだが、もう嬉しくて狂ったように私をグイグイ引っ張るので 子供の私はすっかり体力負けし 散歩は数分で終わった。
以後、散歩は日課とはならず、気の向いた時だけの行事となったが、鎖を持って行くだけで狂ったように喜ぶ様に変わりはなく 暴れる分だけ私には重荷となった。
多分、10歳は越えていたのだと思うが、ある日元気が無いと母が云うので元気付けてやろうと散歩用の鎖を持って行ったのだが 嬉しそうに尻尾をパタンパタンと振るものの起き上がることは無く、それから数日後に亡くなった。
母が 首輪を外してやり「さぁ、もう自由だよ。好きな所へ行きなさい」と言っていたのが強く記憶に残っている。
二代目の犬は たしか雑種の「チビ」だ。黒い犬だったように思う。
これは小さいので、私でも力負けしなかった。
オスで、道の角や電信柱があるとヒョイと片足を上げて小刻みに小便をした。
犬の習性なのだろうが、片足を上げるのが私には不思議で、帰宅してから家の庭でヒョイと片足を上げて試してみたのだが 私には上手くはできなくて、以後、片足を上げるのは諦めた。