北海道でノンビリと

タブタブの何処かへ行こう を改題しました。
何処かへ行く機会も減ってきたので 北海道を楽しもうと思ったからです

気分は 裕次郎

2017-09-25 21:16:43 | 日記
港へ行ってみると、少し大型の漁船が並んで停泊していた。

詳しくは知らないが何れも木造船ではないので、多分遠洋漁業に出る船だと思う。

不思議なのは、同じ型の船が並んで停泊していることだ。
同じ船会社の兄弟船なのだろうか。



だから船を見ていて、あの鳥羽一郎の兄弟船を思い出した。

♪ 波の谷間に 命の花がぁ 二つ並んで 咲いているぅ~~ ♪

その鳥羽演歌を唄いながら港を歩いていると 今度は大きな船の後ろに子供の様な小さな船を載せた船を見つけた。



小さな船は 大、中、小と違うサイズのものもあるようで、並んで停泊しているものもあった。



小船は、親船が網を出した時に 広げる役目なのだろうか。

岸壁にある、あの裕次郎が格好よく片足を載せた船を係留する「ビット」に
私も短い脚を載せ、次に口から出たのは題名は知らないが「亀の唄」だ。

♪ 親亀の背中に 子亀を載せて 子亀の背中に 孫亀載せてぇ~~~
親亀コケたら 子亀 孫亀 皆コケたぁ~~~

リベンジ

2017-09-24 21:58:21 | 日記
少し雲があるけれど、もしかしたらイケるんじゃないかと思いハンドルを切った。

一昨日のリベンジだ。


まだ太陽は地平線の かなり上にあるが湿原の展望台へ着く頃には沈んでしまうかも知れない。

だから今日は無理をしないで手近な所で撮影場所探し。

とにかく建物が視界に入らないで湿原っぽい木々の間に沈む夕陽が撮れそうな場所を探し回った。

結局落ち着いたのは釧路川左岸にある堤防上の道。
数年前、堤防の斜面に下りてグキッと脚を捻り骨折した場所だ。

三脚にカメラをセットし、肩に担いで堤防上の直線道路を歩いた。



高圧線の鉄塔が邪魔だけれど、もしかしたらアクセントになるかもと思い直して三脚を広げた。

後は とにかく太陽が良い位置まで下りてくるのを辛抱強く待った。



シャッターを押しては場所を少し移動して、また撮影。





湿原から巣へ戻る鳥たちとのコラボをと思ったが、そう上手くはいかなかった。



すっかり暗くなった帰り道、空に浮かんでいる三日月を見つけて付録のように撮影。



よしっ、今日は穏やかに眠られそうな気がする。

少し ムカツク

2017-09-23 21:59:50 | 日記
今日は、お寺へ彼岸の供物を下げに行くことになっている。

途中、印章屋に寄って 注文しておいた スタンプ印を受け取った。

スタンプと言っても 今流行のLINEで使うものではなく インクを付けてペタッと押すやつだ。

住所から姓名まで彫られたゴム印と、お布施の袋などに押す為に苗字だけのゴム印も作った。

早速、寺に行ってお経をあげてもらう時に、お布施の袋にペタッと押してみて・・・・・「良いね、良いね」と満足した家内と私。

「苗字だけにして 名前を入れなかったのは、私が死んだ後も そのまま使えるようにと思ったからだよ」と家内に説明したら、「あぁナルホド」と大喜び。

哀しいことに (そんな事 云わないで・・・・・) とか愛のある優しい言葉は 一言も出てこなかった(涙)。


地団駄

2017-09-22 22:14:08 | 日記
久しぶりに良い天気だ。
台風が雲を全部浚って行ったのかも知れない。

ソファーに横になり青い空を見ているうちに外へ出ないと勿体ないと云う気持ちになり一眼カメラを持って「摩周湖へ行ってくる」と言い残して家を出た。

地平線が見える一直線の道路を走って釧路湿原を西から東へ横断。



台風で潤っている湿原の向こうには阿寒の山々が綺麗に見えていた。





湿原の東側に沿って北上し摩周を目指したのだが、前車が細岡展望台への道へと左折したので 追従して左折してしまった。

いつもは展望台の入口まで車で上がるのだが、少し運動しようと云う気になり、下のPに車を置いて300m程の坂道をエイホ エイホと歩いた。



久しぶりの細岡展望台は青空の下、本当にきれいに見えていた。



続々と到着したのは、観光列車ノロッコ号で来た人達のようだ。





「うわぁ・・・・・凄い景色」と叫ぶ人が どんどん続く。

ガイドの人が「これだけ晴れていると今日の夕陽は かなり綺麗に見えると思いますよ」と言っているのが耳に入った。





(そうか、夕陽を撮るのも良いな) と思った私は摩周湖行きを中止して一旦帰宅することにした。

日の入り1時間前に家を出て目指すは先ほどの細岡展望台と云いたい所だが、陽が沈んでから照明の無い湿原の道を下る自信が無くなり、目的地を変更。

新釧路川左岸から湿原の奥に沈む夕陽を撮ろうと作戦変更。

ビルの向こう側には大きくて真っ赤な太陽が綺麗に見えている。

これは良い写真が撮れそうな予感。
ワクワクして車を走らせたが思った以上に太陽が早く沈み、そして道路は夕方の渋滞。

消えてしまった太陽に腹立たしさを抑えきれず、三脚ごとカメラをブン投げようと・・・・・

これは・・・・・何とか耐えたけれど、6時間過ぎた今でも悔しさが残っていて、今夜は眠られるだろうか(涙)

京都に住みたくて

2017-09-21 22:11:03 | 日記
「京都寺町三条のホームズ」の作者、マイマイこと京都在住の望月麻衣先生から直接メールが入った。
凄いだろう <(`^´)>。

周りの人に自慢したいのだが、家族は聞く耳を持っていないのでブログの読者を羨ましがらせてやりたくなった(笑)。

マイマイのブログによると近々京都の書店でサイン会があるらしいのだが、マジで行きたくて、一応計画を練ってみたのだが、病院の検査もあるので断念した。

しかし、今密かに考えているのがJRでの京都旅行。
在来線で函館まで行き、そこから新幹線を乗り継いでの旅だ。

そう云えば、私は病気で高校の修学旅行に参加できなかったのだった。

それが哀しくて悔しくて、京都から戻ってきたクラスメートが色々悩んで買ってきてくれたお土産を全く喜ぶことなく鞄の奥に入れたように記憶している。

高校卒業後、偶然にも京都の学校に合格し憧れの街に3年間住んだのだが、その時は半ばリベンジしたような気持ちだった。

今 北海道出身のマイマイが住んでいる京都。

きっとマイマイだって京都を知れば知るほど沢山の驚きの中にいるに違いない。

北海道は、函館の周辺を覗いて ほぼ日本史の外にいる。
遺跡の殆どはアイヌの歴史であり和人から受けた圧政の涙の跡だ。

それが今、日本史のド真ん中で暮らしているのだからね。

私が初めて京都の街中を歩いていて偶然見つけたのが本能寺。
(おわっ、本能寺だよ、本能寺) と叫ぶ私。

その横を何事も無いようにスタスタ歩く人達の事が信じられなかった。

蛤御門や池田屋、二条城など日本史の真っただ中に暮らす人には いちいち驚いてはいられないのだろうけれど、私には毎日が感激と驚きの繰り返しだった。

今回読み終わった「京都寺町三条のホームズ④」の中では、コーヒーへ入れるミルクのことをフレッシュと云うと書いてあったが、当時私が驚いたのはアイスコーヒーのこと。

京都ではアイスコーヒーと云わないのを知っていた?
コールコーヒーと云うんだよ。これには驚いたね。

このコールの語源が未だにわからないのだけれど、そう云えば、大阪では 何と云うんだろうねぇ・・・・・。