ちょっといいHanashi

Tea Cupブログからお引越ししました。日常の生活のちょっといいHanashiを書いています。

新春のつどい

2012年01月29日 20時05分00秒 | ノンジャンル
豊中の高校時代の同級生から新春のつどいに、腹話術での出演の依頼があった。
これで4回目の依頼です。

ネタをどうしようかと困っていました。
いつもながらの「腹話術ブルー」です。

思い切ってメインをカアタンからラッキーに変えました。
AKBの発想です。
何回も行ってるところには、ちょっと雰囲気をかえるために ラッキーにしました。
ネタもラッキー用のネタですから、いつもとちょっと違います。

まあ、お客さんの反応を見ながら、演じられるようになってきたので、かなりぶっつけ本番でも、楽しめるようになってきました。でも、きっと無駄なセリフもいっぱいあるんだと思います。

目玉君→ラッキー→おきくさんです。
途中で声あてクイズをしようとはりきっていたのに、
なぜか、なぜか、機械の調子が悪く、8種類くらい変化するはずの機械がまったくかわらない・・・・どうしようとあせってしまいました。
しかたがないので、おきくさんに急遽交代です。
残念無念でした。
せっかくおもしろい設定だったのに、残念でした。しかもパニックってしまいました。

おきくさんのネタは、かなりぶっつけ本番になってしまいました。
でも、まあまあ喜んで見てくださったと言う実感があったので、よかったです。
後でわざわざ丁寧にご挨拶に来てくれた人もいました。
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青少年赤十字のつどい

2012年01月29日 19時35分00秒 | ノンジャンル
この行事も3回目となった。
『賛助会員』にはなっていないものの、
スタッフとして 参加している。

いつもアイスブレーキングの担当と、レク担当。
なんとなくだけれど、どうしたらうまくいくかも少しはわかってきた。

レクリエーションといっても、全く知らないもの同士とか異年齢とか、クラスの中とか、
またその人数や場の設定によっても、ふさわしいもの、ふさわしくないものがある。

最初のアイスブレーキングでは、いつも腹話術から。
緊張した面持ちのメンバーから、ちょっとにっこりした笑顔が見えだす。
そして、「ひとりじゃないさ」の歌。
いつもは、ギターをひいてもらうんだけど、今年は、その同僚をよべなかったんで、
CDでやった。
やっぱりCDだと、のりもあるし、手拍子も入っているし、ピカリンの歌詞リードもあるし、
歌いやすいし覚えやすい。
わざわざ歌詞を赤十字バージョンに変える必要もないと思った。
2番まではそのまま使うことにする。
「おはよう」にかえていたけど、CDでは、「こんにちは」なので、そのまま「こんにちは」で。
そして、3番からは、学校名を呼ぶので、CDはなしにして、自分のキーで歌った。
それも、まあまあいい感じ。自分の学校の子どもたちで、お手本を見せてもらった。

去年までは男女別とか学年別とか、班別にも呼んで「は~い」と言ってもらってたけど、
長くなるので要らないなあと思いました。特に班別にならんでないので、声も出にくいと判断して。
結果良かったと思う。

レク担当の若いお姉さん先生たちの動きも去年より よくなっていた。恥ずかしさをすてて・・とアドバイスしたけど、初々しくてよかった。「おもちゃのちゃちゃちゃ」をしたけれど、たのしんご とかのポーズを入れ、アレンジ。

「トントンキャッチも」よかった。去年お休みだった先生が担当してくれた。少しの打ち合わせで、うまくやってくれた。

後半レクも腹話術からスタートし、次は、班対抗清正じゃんけん。これも、担当のお姉さん先生が、知らない間にお手本をする先生をスカウトし、「清正」役と「とら」役と「お母さん」役で出てきてくれた。
衣装もつけたらおもしろかったなあと思いました。

集団じゃんけんは、けっこう盛り上がる。相談するから、グループ意識ができるし、勝った負けたの単純なゲームだけれど、勝ったら、グループで喜び合って、仲良くなる。

私が担当する「木の中のりす」は、時間の都合でできなくなったけど、清正じゃんけんの優勝チームにメダルを作ってきてくれたので、盛り上がって楽しかった。

レク担当の分担が何となくうまくいった感じでした。

私自身が楽しかったのは、HRでの話し合い。
6人と少人数だったのもあり、和気あいあいとすぐに仲良くなれた。グループワークでも、
活発に意見を出し合い、個人のめあてもずいぶん意識していたように思う。
食事の時にも「給食よもやま話」で盛り上がり、何だかいい雰囲気だった。
おまけに、清正じゃんけんで6HRが優勝。よけいに嬉しかったようだ。

最後に解散してからも、6人でサイン会をしていた。いつまでも解散するのを名残惜しんでいた。指導者の私としては、嬉しい限りだった。
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