昨日教育課程研修にいった。特活部会の仲間が発表した。
最後の質問のときに、司会者が出席名簿をみて、参加者にあてていった。
最初に発言をした人の名前を司会者が言ったとき、あれっと思った。かつて、初めて赴任した勤務校での同僚のHさんだった。Hさんは、当時講師であったが、その後、鹿児島の採用試験に合格し、しばらく勤務した後、兵庫へとうつり、そして、現在大阪で勤務しているとのこと。
何しろ18年ぶりくらいだ。とっても懐かしかった。
研究会が終わると 声をかけにいった。Hさんもびっくりしていた。
基督教会でのレクリエーションの際も、思わぬ出会いがあった。私の出番をビデオ撮影してくれるように教会仲間のOさんに叔母が頼んでくれた。
挨拶をしておこうと思って、ふと見るとなんだか見たことのある顔。叔母に名前を確かめてみると、確かに小中学校時代の同級生であった。びっくり。こちらはほぼ30年ぶり。Oさんも叔母もびっくりしていた。
懐かしかった。そして、二人とも記憶の中にある私の話をしてくれた。自分が覚えていないことを相手が覚えていたりして、なんだか不思議な感じであった。
最後の質問のときに、司会者が出席名簿をみて、参加者にあてていった。
最初に発言をした人の名前を司会者が言ったとき、あれっと思った。かつて、初めて赴任した勤務校での同僚のHさんだった。Hさんは、当時講師であったが、その後、鹿児島の採用試験に合格し、しばらく勤務した後、兵庫へとうつり、そして、現在大阪で勤務しているとのこと。
何しろ18年ぶりくらいだ。とっても懐かしかった。
研究会が終わると 声をかけにいった。Hさんもびっくりしていた。
基督教会でのレクリエーションの際も、思わぬ出会いがあった。私の出番をビデオ撮影してくれるように教会仲間のOさんに叔母が頼んでくれた。
挨拶をしておこうと思って、ふと見るとなんだか見たことのある顔。叔母に名前を確かめてみると、確かに小中学校時代の同級生であった。びっくり。こちらはほぼ30年ぶり。Oさんも叔母もびっくりしていた。
懐かしかった。そして、二人とも記憶の中にある私の話をしてくれた。自分が覚えていないことを相手が覚えていたりして、なんだか不思議な感じであった。