自己と他者 

自己理解、そして他者理解のために
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松下幸之助『私の行き方 考え方』

2007-04-16 22:29:52 | 小説以外 

この本からは、経営観、人間理解を学ぶことができる。

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状況:「差込み」を開発し、販売代理店も見つけ、経営が軌道にのっていき始めた頃、ある日、ちょうど隣に同じように製品を研究し、売り出そうというライバルがやってきた(事前にお互い無駄な競争はよしましょうと声を掛け合った)。

その後、隣の工場の主は、上手く経営がいかず、そして5~6年後、工場を訪ねてきたときの松下幸之助氏との会話

仮にその人をA氏としよう

p.92~引用

A氏:「あなたは偉い偉い」

A氏:「僕もずいぶん熱心に仕事をしてきたがね、どうも思うようにいかず、たまたま少し上手くいきかけると、売った先が金をくれなんだり、そうかと思うと、頼りにしていた店員が辞めたり、どうも事故が多くて今日なお志を得ないが、同じように商売を始めた君が、日一日と何の故障も無く順調に行くのが実に不思議だ。」

松下幸之助氏:「君ほど熱心にやっておりながら、なお事業が成功しないということが僕にとってこれまた不思議だ。

僕は事業というものは、大小の差はあっても、やっただけは成功するものだと根本に考えている。だからよく世間では、『商売というものは、儲けるときもあるが、損するときもある。損したり得をしたりしている間に成功していくものだ』と考えているが、僕はそうは思わないし、そういう見方は誤っていると思う。

 商売というものは真剣なものである。真剣勝負と一緒だ。首をはねたり、はねられたりするうちに勝つというようなことはあるべきではない、と同じように商売も活動するだけの成功は得られなくてはならない。

もしそうで無かったならば、それは環境でも、時節でも、運でもなんでもない。その経営の進め方に当を得ないところがあるからだと断じなくてはならぬ。それを商売は時世時節で、損もあれば得もあると考えるところに根本の違いがある。

商売というものは不景気でもよし、好景気であるならばなおよし、考えねばならぬ。商売じょうずなひとは、真の経営者は、不景気に際して、かえって進展の基礎を固めうるものであることは、過去の幾多の経営者が現実にこれを示していることを知らなければならぬ。

だからまずもって君のその世間的な信念のない考え方から改めなければならぬのではないか」

以上、引用終わり。

どんなご時勢・いつの時代でも、健全、全うなことをなさりながら、成長している企業はおるものだと思います。

8つの歳に、奉公として、子守をし、火鉢を磨き、自転車屋で働き、電気工事の仕事を行う。体は弱いほうであるにもかかわらず。差込みプラグで、経営をはじめ、ランプで成長し~。

非常に勉強になります。たぶん、『私の履歴書』で読んだ方も多いと思います。

p.143引用

「~商売は一つの、大きくいえば一国の経営と同じようなものだというようなことを考えた。」

 この前には、いくつもの困難な状況が書きこめられている。ランプを開発し、絶対に売れると踏むが、電池で光るランプの世間評判があまりに悪すぎて(それまで劣悪品が多すぎた)、思ったより反応が悪く、無料で販売店におかせてもらい、持続時間が長ければ、買い取ってくれとの交渉から営業しなおした。なんていうところは、この松下という方は営業の神様(ドラッカーではないがご存知、経営の神様とは呼ばれている)でもあったのか思ったほどです。

 さらに販売店同士のバトル、便所掃除を誰もせず、松下幸之助氏自ら行って、自分の指導が行き届かず、不徳の致すところ、と反省するなどなど。

奥が深い。ますます尊敬し、学び取りたい、この人を追い抜けるように努めたいと思う次第。

一度、直接、講演を聞いてみたかった。