YouTubeで千代の富士が昭和63年九州場所で連勝が53でストップした時の話題が出ていた。
連勝を止めたのは横綱大乃国。
大乃国は この頃 あまり 横綱としていい成績を残せていなかった。
そのことは 僕もよく覚えている。
この九州場所 千代の富士は14日目に14戦全勝で優勝を決めて 連勝も53に伸ばした。
翌日 千秋楽の対戦相手は 同じ横綱大乃国。
大乃国は その 14日目に千代の富士が優勝を決めた夜に 食事の席で 師匠の放駒親方にこんなことを言われたという。
「どうせ今のお前じゃ何をやっても勝てないんだから、せめてヒヤッとさせる場面はつくってこいよ」
“”どうせ勝てないから せめてヒヤッとさせる場面をつくってこい“”
動画で聴いた瞬間に 放駒親方(元大関魁傑)は 「勝て」 というと 大乃国が緊張して固くなるから 「どうせかてないから せめてヒヤッとさせろ」 と言ったことは 直観的にわかった。
もう それで どうせ 勝てないと 言ったに決まっている。
現役時代から 放駒親方のこと 見ているから わかる。
放駒親方らしい 愛情のある言い方だなと思った。
ところが この話には もっと 奥があることが 別のサイトを見ていて わかった。
2017年9月の 銀座蔦屋書店のトークイベントで大乃国が当時を振り返って こんな風に語ったことが 銀座蔦屋書店のサイトに出ている。
“”(千代の富士との対戦の)前の日の夜、師匠(元大関魁傑の放駒親方)が後援者とご飯を食べていて、私も隣で食べていたら、「明日、今のおまえじゃどうせ勝てねえんだから」って言われましてね。思わずご飯がつかえて、喉を通らなくなりましてね。
通らないどころか、食ってられませんよね。もう、さっとかき込んでさっと立ち上がって、「どうも」って言って部屋に行きました。部屋で、「とにかく明日は絶対なんとかしないといけない」と。
私は、「なんとかしなきゃいけない」って思っていただけなんですよ。ただ、部屋の師匠はなにを思っていたかというと、明日負けた次の千秋楽は、双葉山(ふたばやま)と並んじゃうから、なんとしても勝たなきゃいけない。
そういう計算が師匠の頭の中にちゃんと出来てたっていうのを後で聞いて、「ああ、恐ろしい話だ」と。あのとき聞いてたら、もしかしたら、負けてたかも分からない。それに震えちゃってね“”と。
計算すると その通りだ。
大乃国と 千代の富士は横綱同士だから千秋楽に対戦が組まれる。
千代の富士は 大乃国に勝つと54連勝になる。
そして 次の場所の千秋楽は 大相撲は一場所15日だから 54+15=69 となり もし大乃国が負けると その時点で 千代の富士は 神の領域と言われる双葉山の69連勝に並ぶことになる。
大乃国は 今の 高安と同じで 優勝がかかったりする相撲になると 固くなって なかなか勝てなくなってしまう傾向がある。
だから 強い割に 優勝回数は 少ない。
また 当時の 千代の富士は 誰も 連勝を止める人が いないというような 勢いだったから 大乃国が 負けると 次の場所まで 勝ち続けて 69連勝目で 大乃国とあたる確率も 高いと想定できる。
そこまで かんがえて 放駒親方が 「どうせ勝てないんだから せめて ヒヤッとさせろ」 と言ったかと思うと なんだか じーんと来てしまう。
「ヒヤッとさせろ」 というところが この言葉のミソで 勝とうと思わないで ヒヤッとさせようと思うと いわば 捨て身になって 思い切っていけるという効果がある。
言葉の持つ力は 大きいなと 思う。
何よりも 大乃国が 何年もたっても そのことを 覚えていることが その力の大きさの一番の証拠だと思う。
そんなことを考えていて 思い出したことがある。
昭和47年3月場所 魁傑は 長谷川と優勝決定戦を行い 敗れて 長谷川がこの場所は優勝した。
この場所 千秋楽の時点で 長谷川と 魁傑は3敗で並んでいた。、。
まず 魁傑が勝って3敗を守る。
次に長谷川が 土俵に上がる。
長谷川の対戦相手は 魁傑と同じ花籠部屋の輪島。
輪島は 長谷川に敗れた。
輪島が 長谷川に 勝ったら 長谷川は4敗になり 3敗の魁傑がすんなり 優勝していたのに、、、。
同じ 花籠部屋の輪島が 長谷川に敗れて 申し訳なさそうに支度部屋に戻ってくると
優勝決定戦にもつれこんだ魁傑は輪島に 「いいよ 俺 やるから いいよ」と言ったという。
それは その日 大相撲の 実況のアナウンサーが 支度部屋から 伝えていた。
僕は 当時 小学四年だったけれど かたずをのんで 相撲中継を見ていたから 今でも覚えている。
記憶違いだといけないと思って ネットで 昭和47年3月場所の星取表を見てみると やはり この場所の千秋楽の本割は 輪島と長谷川の対決で長谷川が勝っている。
自分で言うのもあれだけど 僕 記憶力いいな、、、。
本当に あの時の 魁傑は 優勝できなかったけれど 輝いていたなと思う。
「俺やるからいいよ」 って 輪島に言ったことにしびれたし、、、。
言葉や 思いが のちのちに 残っていく人って素敵だなと思う。
そりゃ 魁傑は 本当に 当時の青春ドラマの 主人公のような顔だもの。
やっぱり 顔と 性格は 関係あるな とも思う、、、。
ちなみに この場所 今 大相撲解説の 北の富士さんは 輪島にも 魁傑にも敗れている。 長谷川には 勝ったけれど。
本当に 北の富士さんの 調子が悪かったから 昭和47年は 横綱以外の優勝が多い年だった。
そういう意味では 令和4年と似ているともいえる、、、。
なつかしいな。
ちなみに 昭和は64年の新年早々 天皇陛下が崩御したので この昭和63年九州場所の大乃国の勝ち星が 昭和最後の 大相撲の勝ち星になるという。
それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを 第一に願っていきたい。