8月24日京都コンサートホールに京都市交響楽団第692回定期演奏会を聴きに行った。
指揮は広上淳一さん
マーラー交響曲第3番が演奏された。
録音もあまり聴かない曲だけれど、演奏を聴きながら僕の心はマーラーの交響曲第2番 4番 5番の3曲のイメージをあちらこちら行ったり来たりしている感じだった。
たぶんマーラーは同じ素材をいろんな曲に形を変えて使うので僕の心の中にあるマーラーの交響曲の記憶がそうさせたのだと思う。
第一楽章を聴いていて最も心にとまったことはビオラのトレモロが美しいということだった。
コクがあって精緻というように僕には思えた。
僕はオーケストラのあちこちに目をやりながら演奏を聴くことが多いけれどあれほどビオラが心に留まったことはそれほど経験がないように思う。
それで、ああ、トレモロがきれいだなと思いながら聴いているとビオラだけでなくバイオリンのトレモロもきれいということに気付いた。
低音の弦の音が鳴ると僕の目は思わずコントラバスの方に行ってしまうことが多いけれどマーラーのこの曲だとチェロにもコントラバスにも均等に目が行く感じだった。
音楽の専門的なことはわからないけれど、マーラーがおのおのの楽器の特色が際立つように音楽を書いていることにも起因するのではないかと思った。
いろんな楽器に比較的均等に目が行くというのは管楽器にも言えることで、きっとマーラーは弦楽器でも管楽器でもそういう音楽づくりをしたんだなと思った。
おのおのの楽器の活躍度が素人目にもわかるように音楽ができているというのはきっとマーラーは指揮者としての経験が豊富ということにも起因しているように思う。
京都市交響楽団の管楽器はとても美しくて、木管が歌曲的な旋律を奏でるような場面ではそれまで続いていた音楽の緊張が解けて本当に夢を見ているような気持だった。
このような印象は第一楽章だけでなく曲全体を通じて僕が抱いたものだった。
第五楽章で合唱が出てきたけれどこの時も第四楽章のちょっと重い霧が晴れるようだなと思った。
この合唱でボーイソプラノというか女子高生というか(第一楽章が終わって、合唱団が入ってきたとき、「あっ女子高生だ」、と思いその印象が心に刷り込まれてしまったので女子高生かボーイソプラノかわからないけれど要するにボーイソプラノのパート)が僕の耳には「ビン ボン バン ボン」と聴こえるような一定の音階を繰り返す場面があるのだけれど、そこがとてもクリアで打楽器のように叩く感じ そして弾む感じがとてもよく出ていて秀逸だなと思った。
演奏が終わった後、合唱団を指導されたと思しき方がステージに出てこられたのだけれど なんとなく、そんなところを丁寧に指導しそうな感じの方でちょっと心がほっとしてしまった。
指揮者よりもオーケストラのあちこちを見ながら聴いていた僕だけれど曲の終盤になると指揮者にも目が行くようになった。
それで思ったことは指揮の広上淳一さん、いつものようにダンスをするように指揮されている。
それで広上さんはダンスをするように指揮されているのにオーケストラから出ている音は結構シリアスな場面も結構あり、指揮者の動きとオーケストラの動きが素人目にはこれほど異なるようにみえることも珍しいなと思った。
僕が思うには、指揮者とオーケストラの関係が長いから素人目にはわからないつながりというのがあるのだと思う。
あと、一見ダンスをしているようで その中にかなり細かい振動も入っていたりするからオーケストラの方はそういう部分までキャッチしながら演奏されているのかもとか想像しながら演奏を聴いていた。
いい演奏会でよかった。
帰りに阪急に乗ったら浴衣姿の人を結構見かけた、24日って関西では一般に地蔵盆の日だからあるいは沿線で何かお祭りがあったのかもしれないと思う。
それはともかく一日いちにち無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。