ずっと考え続けてきた事案が止揚に至ったような気がするので、書き留めておこうと思います。
介護現場の離職率はなぜ高いのか。このテーマは何度も取り扱ってきたので、今までの論考と重複するところが多いとは思いますが、少しばかりお付き合いを。
看護師さんの雑談に耳を傾けていると、医療現場でも人材は横へ流れているそうである。
○○クリニックから、××内科へ、次に△△病院を経て、老人介護系の看護師さんへという感じで渡り歩いている人は結構いるそうである。
それは介護現場とほぼ同じであるので、共通項を挙げてゆくとすると、収入源が社会保障制度である事と、女性が主体の現場である事である。
看護師さんも大変な仕事であるけれど、構造的に会社のような昇給制度はなく、既婚者であるならば、共働きであるから、生活の主体は夫であることが多い。
また職場が女性ばかりであると、精神面でなかなか大変な事が多く、人間関係で精神を病んでしまうことも多いのだとか。
しかし、看護師の資格は歴史ある国家資格であり、医療行為ができるのであり、人材不足でもあるから、横に流れても、何とか職にありつけるようです。
この構造がそっくりそのまま介護現場に適用されてしまっているのであるけれど、看護師さん達とは違う問題が多い。
介護現場は、人材不足であるけれども、資格がなくても出来てしまう仕事なので、よほどのことがない限り誰でも従事することが出来ます。また、介護保険という制度が収入源であるので、人が集まりさえすれば、余り努力しなくても、最初から上限が決められた収入を得ることが出来ます。
そのような環境で従事してゆくのですから、個人によってモチベーションや知識とか技量に差が出てしまいます。そのような中で共同体を構築してゆくわけですから、どうしても、社会に依存し、上司に依存し、同僚に依存し、上司は部下に依存し、高齢者に依存しなければ成り立たない相互依存という関係で共同体が成り立ってしまうのです。
そのような中では、どうしても発言力のある個人の主義主張が通りやすくなります。どんなに矛盾していようと、「嫌われてしまえば働きづらくなる」という、精神的な圧力が掛かりますので、反論できません。それが、年功序列で断層的にかかるものなので、所属日数の短い人ほど、より多くの個人の「気持ち」に振り回されてしまう結果に至ります。また、相互依存という関係性が成立していることが、個人の主義主張を助長させてしまうことになります。
このような現場や大人達をみた若者が希望を見出すことはあり得ず、未来に可能性を秘め、相互依存に頼らなくても社会を生きてゆける人はどんどんその業界から去ってゆくのは仕方のない事です。
現在の介護現場は、介護保険が導入された当初、若者だった人たちが現場を仕切る世代になりつつあります。しかし、彼等もまた、介護現場と言う狭く小さな社会で、誰からも叩かれずに来てしまったので自身の正しさを信じて疑わない人が多く、時間が十数年前から止まってしまっていて、高齢者と接する事が主であることに変わりないので自身が歳を取ってしまったことを認めない人が多い。
それは、現場の状況を改めて客観的な視座から見据えた時、若さへの渇望と嫉妬は高齢者と接する事で充足されてしまっている為に無意識に若い世代を避ける状況を作り出しているのではないかとも感じるのです。
しかし、それでは若い感性を得る事も、後進を育てる術を得る事も出来ずに、精神的成長を得る機会を失うばかりか、相互依存という特徴を持つ共同体が終わると同時に、看護師とは違い、次世代からこれまでの労をねぎらわれることなく失職する形になってしまうでしょう。
それでも、現在のように横に流れてゆける構造が介護という職種に担保され続ければ、自己の感情に素直になって「横に流れてゆけること」も、普通の価値観として共有されるから、未来を憂う心配などないかもしれないけれども、自身が要介護者になった時、社会保障制度の中では、誰も支えてくれない状況に陥ってしまうのではないかと思うのです。
この事案は、ジェンダーや年齢の差別という深い社会問題にまで言及してみたので、気分を害された方がいらっしゃるかもしれません。
気分を害された方、ごめんなさい。でも、こういう見方もあるのだなと思って頂けたら幸いです。
介護現場の離職率はなぜ高いのか。このテーマは何度も取り扱ってきたので、今までの論考と重複するところが多いとは思いますが、少しばかりお付き合いを。
看護師さんの雑談に耳を傾けていると、医療現場でも人材は横へ流れているそうである。
○○クリニックから、××内科へ、次に△△病院を経て、老人介護系の看護師さんへという感じで渡り歩いている人は結構いるそうである。
それは介護現場とほぼ同じであるので、共通項を挙げてゆくとすると、収入源が社会保障制度である事と、女性が主体の現場である事である。
看護師さんも大変な仕事であるけれど、構造的に会社のような昇給制度はなく、既婚者であるならば、共働きであるから、生活の主体は夫であることが多い。
また職場が女性ばかりであると、精神面でなかなか大変な事が多く、人間関係で精神を病んでしまうことも多いのだとか。
しかし、看護師の資格は歴史ある国家資格であり、医療行為ができるのであり、人材不足でもあるから、横に流れても、何とか職にありつけるようです。
この構造がそっくりそのまま介護現場に適用されてしまっているのであるけれど、看護師さん達とは違う問題が多い。
介護現場は、人材不足であるけれども、資格がなくても出来てしまう仕事なので、よほどのことがない限り誰でも従事することが出来ます。また、介護保険という制度が収入源であるので、人が集まりさえすれば、余り努力しなくても、最初から上限が決められた収入を得ることが出来ます。
そのような環境で従事してゆくのですから、個人によってモチベーションや知識とか技量に差が出てしまいます。そのような中で共同体を構築してゆくわけですから、どうしても、社会に依存し、上司に依存し、同僚に依存し、上司は部下に依存し、高齢者に依存しなければ成り立たない相互依存という関係で共同体が成り立ってしまうのです。
そのような中では、どうしても発言力のある個人の主義主張が通りやすくなります。どんなに矛盾していようと、「嫌われてしまえば働きづらくなる」という、精神的な圧力が掛かりますので、反論できません。それが、年功序列で断層的にかかるものなので、所属日数の短い人ほど、より多くの個人の「気持ち」に振り回されてしまう結果に至ります。また、相互依存という関係性が成立していることが、個人の主義主張を助長させてしまうことになります。
このような現場や大人達をみた若者が希望を見出すことはあり得ず、未来に可能性を秘め、相互依存に頼らなくても社会を生きてゆける人はどんどんその業界から去ってゆくのは仕方のない事です。
現在の介護現場は、介護保険が導入された当初、若者だった人たちが現場を仕切る世代になりつつあります。しかし、彼等もまた、介護現場と言う狭く小さな社会で、誰からも叩かれずに来てしまったので自身の正しさを信じて疑わない人が多く、時間が十数年前から止まってしまっていて、高齢者と接する事が主であることに変わりないので自身が歳を取ってしまったことを認めない人が多い。
それは、現場の状況を改めて客観的な視座から見据えた時、若さへの渇望と嫉妬は高齢者と接する事で充足されてしまっている為に無意識に若い世代を避ける状況を作り出しているのではないかとも感じるのです。
しかし、それでは若い感性を得る事も、後進を育てる術を得る事も出来ずに、精神的成長を得る機会を失うばかりか、相互依存という特徴を持つ共同体が終わると同時に、看護師とは違い、次世代からこれまでの労をねぎらわれることなく失職する形になってしまうでしょう。
それでも、現在のように横に流れてゆける構造が介護という職種に担保され続ければ、自己の感情に素直になって「横に流れてゆけること」も、普通の価値観として共有されるから、未来を憂う心配などないかもしれないけれども、自身が要介護者になった時、社会保障制度の中では、誰も支えてくれない状況に陥ってしまうのではないかと思うのです。
この事案は、ジェンダーや年齢の差別という深い社会問題にまで言及してみたので、気分を害された方がいらっしゃるかもしれません。
気分を害された方、ごめんなさい。でも、こういう見方もあるのだなと思って頂けたら幸いです。