硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

真実は語られるのであろうか。

2017-10-31 21:26:26 | 日記
ショッキングな事件を考えてみる。

自殺ほう助のようですが、真意はまだ分からず、現時点での情報では被疑者との接点はSNSを通して知り合ったとなっています。
もし、被疑者が殺害に快感を覚えたり、死に興味を持ち、他者を通して死を体感したいという欲望を満たす為に殺人を行うような、快楽主義者ならば述べる言葉はありません。

しかし、もし仮に、遺体となったすべての人が死を彼に求めたとするならば、彼は、倫理を超えた倫理、道徳を超えた道徳、思いやりを超えた思いやりで、人生に絶望を感じ、死を渇望した人達に『救いの手を差し伸べた』のではないかと思う。
それは、残された人たちの気持ちを置き去りにして、個人主義を貫いた結果ともいえる。
真実は解らないけれども、もし仮説が当たっているとするならば、彼は自身の中で自身が行ったことを正しいとしているのではないかと思う。
思い込みはどこまでも自身を肯定し、欠落部分に目をやれなくするのである。

平和が過ぎると、人の命も軽んじられるのだろうか。
自身を愛せないと、自身の命も軽んじられるのだろうか。
息苦しさは、他者によってもたらされるのであろうか。

それも、思い込みに過ぎないのだろうか。真実は僕たちに語られるのであろうか。

そして、幸せとは何だろうかと改めて考えさせられるのです。