硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

「沈黙」を鳥俯瞰で見てみる。

2017-12-27 21:56:32 | 日記
「沈黙」についてしばらく考えていた。どうしてあんな悲劇が起こってしまうのだろうかと。
歴史の教科書からは「キリシタン弾圧」「島原の乱」というワードしか記憶にない。

そこでふと思った。そもそもなぜキリスト教が弾圧されたのか。何故危険であるのか。

沸き起こった疑問。今は便利な世の中である。さっそくネットダイビングを試みる。

「キリシタン弾圧」に関する情報は多く、どの情報が正確であるのかは疑問ではあるけれど、よく考えてみれば、14~15世紀のスペイン、オランダ、ポルトガル、イギリスといえば大航海時代であり南米や東南アジアを荒らしまわっています。そんな世界の大きな流れを、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康が知らないわけがありません。

しかし、日本を統一する為には財力をつけ、新しい技術は導入せねばなりません。また、日本を統一することは他の国から侵略されないように防衛することも視野に入れなければならず、そこには大きな矛盾が生じてしまい誰かを苦しめることになります。信仰そのものは素晴らしいものですので救われた人も多いと思いますが、鎌倉時代における仏教改革の混乱を理解しているので、新たな宗教には慎重にならざるを得ないはずであり、海を渡り他国の民を虐げている人々が日本だけを特別扱いするとは到底思えません。また、大きな利益を生むグレーな取引は人の心を非情し、盲目にします。

第二次世界大戦中にフランスがビシー体制だった「記憶」を「忘却」したのは、カズオ・イシグロさんが指摘していたように、時代を進めてゆく為には必要であり、殺戮や強奪、人身売買が日常にあった時代の日本という国、キリスト教という組織の黒歴史も「忘却」せねばならなかったのだと思ったのです。

しかし、いつの世も虐げられるのは「迷える子羊」なのです。