硝子戸の外へ。

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あいちトリエンナーレ2019問題。

2019-08-06 22:46:54 | 日記
芸術をかじる程度に愛している者として、あいちトリエンナーレの展示物問題について一石。

文化の成熟が芸術を高め、その芸術によって人々を奮い立たせたり、感動させたりする。
無論、発言しにくい問題をアートにたくし、人々の意識に訴える事も芸術の役割である。
また、アートとは、誰もが喜ぶようなものに偏ってははならないし、誰かの反感を買うことを前提にした作品もアートであるように思う。

だがである。

アートであるなら、センスが問われなければならない。
直接的なメッセージなどではなく、皮肉が無ければならない。ナンセンスが無ければならない。笑いが無ければならない。悲しみが無ければならない。観るものの足を止めさせ、考えさせねばならない。

鑑賞者の多くに不快感を与えるだけの作品なら、それはもうアートではなく、個人の自己満足でしかない。限られた者だけを満足させたいのであれば、個展を開けば良いのである。

繰り返すが、芸術とは文化の成熟の証であり、芸術とは無縁の人達の代弁者でなければならない。心を揺さぶらなければならない。政治的な切り口は他にもあるだろう。声にならない声も沢山あるだろう。芸術家として時代に甘えてはいないだろうか。

もし仮に、軍国主義に陥った時、もう一度同じことをできるだろうか。

言論、表現の不自由は今に始まった事ではないし、個人が言いたいことを言い合えば、争いにつながる。言いたい事を云いあい、互いの齟齬を認め合い、共生してゆけるほど文化は成熟していないのであるから、相互理解を深めるなら、ある程度の自制が必要である。また、芸術家なら、表現方法は、他にもあったのではないか。

芸術をかじる程度に愛する者として、今回の問題は大変残念である。