硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

ためらいもなく他者の命を奪う者のその代償と、社会が守るべきもの。

2021-11-02 17:27:31 | 日記
甲府市の住宅放火とそこに住む次女の傷害容疑で逮捕された少年の実名や写真が雑誌を通して報道されたことを、山梨県弁護士会は法律に反し許容しないという、会長の談話を発表したという記事を見た。

さらに記事を読み進めてゆくと、報道機関は少年の更生や社会復帰を阻害する危険性を認識してほしい。とあった。

衣食住や教育を受け続けるための経済的な問題、深く心に残った襲われた時の恐怖、世間の目、加害者の彼が、社会復帰してきた時に、また襲われるのではないかという不安を抱えながら、残された長女さんと次女さんは、生きてゆかねばならない。
また、犯罪とは関係のない彼の親族や関係者も、肩身の狭い思いをしながら生きてゆかねばならなくなった。
その全責任を、彼が果たしてゆくという保証はあるのだろうか。

そのような要素を弁護士の人たちはどのように担保してゆくのだろうか。

これまでの日常生活の中で関係のなかった大人たちの説得によって、ラインをブロックしただけで、家を燃やされ、両親を失ってしまった事を、彼も未来があるのだから許すという、思いに至れるであろうか。

法による制裁によって更生に導く事が理想ではあるが、人によっては、法は言葉でしかないのだから、法による裁きが、深層心理に深く根差す事ができなければ、法の効果は見られないと思われる。

そして、ネット上の正義者は、報道機関よりも早く、ほぼ無料で、情報を提供するであろうから、報道機関も、法に携わる人たちも、被害者の救済にこそ知力を使わなければ世の中はよくなっていかないのではないかと思う。

個人主義という思想は、この先どのような発展を遂げてゆくのであろうか。