和紙を作る家に嫁いだ嫁のブログ

親子五代に渡り受け継がれた和紙作りの伝統を守るべく今日も奮闘する『和紙を作る家』に嫁いだ嫁のブログ

父のお墓参りに

2021-11-02 08:54:19 | みゆきの日記
久しぶりの更新…
なかなか更新出来ませんでした(;´д`)

『一点の曇りもない和紙を作る!!』などと偉そうに言っておきながら、

心はドンヨリ、曇り気味です。

先日、父の命日に娘と一緒にお墓参りしてきました。

父が亡くなってもう五年です。

お墓の前で
『お父さん来たでぇ!』と声を掛けて、続く言葉はやっぱり、
『お父さん、ごめんなぁ…』です。

七年前、父と母の介護が突然同時に始まり、負の連鎖で二人はどんどん悪くなっていきました。

きっかけは、
父は股に出来たヘルペス、
母は原因不明の胸の息苦しさ。
母は、のちにパニック障害と診断されました。

仕事の合間に、二人を連れて皮膚科と精神内科をハシゴする日々。

あの頃は、治療をしたらまた二人とも元通り元気になってくれるやろ!くらいにしか私も思ってなかったんですけどね…

元気な頃は、父も母もお互い束縛せず好きなことをしていました。
お気楽で自由奔放な、ホント典型的な核家族でした。

定年退官後、再就職、再々就職まで頑張った父は、
老後は、グランドゴルフに囲碁将棋にと明け暮れる毎日。
地元のグランドゴルフの大会では86回も優勝したほどの腕前でした。

勝負ごとが大好きな父。
孫と将棋の勝負をしても、手加減することなく、こてんぱんに孫をやっつけて大喜びするという、マジで大人げなく自己チュー、空気が読めず心遣いのまったく出来ない父でした。

母も定年後、再雇用で何年か頑張り、そのあとは楽しい老後を謳歌。

仲間と旅行をしたり、詩吟や手芸に没頭し、存分に楽しんでいました。
忙しい私に代わって、孫の守りもよくしてくれた優しいばぁばでした。

これまで、違う方向を向いて好き勝手に過ごしてきた夫婦が同時に病気になり、

狭い家の中で顔を付き合わせて過ごすようになると、

思いもよらない事が起きるようになりました。

この人は、心を病むことなんてまず無いだろうと思っていた自己チューの父が精神のバランスを崩し始めました。

ヘルペスの痛みが神経痛となって残り、
大好きなグランドゴルフにも行けない。
痛みで夜も眠れない。
『痛い!痛い!』
『救急車を呼んでくれ!』
夜中じゅう、私や弟、母を困らせました。

それにつられて、母まで変なことを言うようになりました。

『九州から来た親戚の男の人が「痛い痛い」とうるさく言うから私までしんどくなる。私も自分の家に早く連れて帰って欲しいわ』

確かに、父は熊本出身で九州の人ですが…

親戚やなくて、それはお母さんの旦那さんやんか!!
それに、ここはお母さんの家やで!!
何度も母に説明しました。

母には認知症の症状が出始めていました。

あれだけ働き者で社交的だった母が、しんどいしんどいと、一日のほとんどをベッドの上で過ごすようになっていました。

これは父と母を引き離さなくては!と、

嫌がる父をデイサービスに…
それでも状況は良くならず、
ちょっとした事件をきっかけに、私たちは父を病院に入院させました。

この時、私たち姉弟には、母を守らなくては!という思いしかなかったんです。

結局、父は入院した病院で原因も分からぬまま突然亡くなってしまい、

今思うと、なんでもっと父の心に寄り添った世話がしてやれなかったんやろう…と後悔ばっかりの介護でした。

いまだに夢にさえ会いに来てくれない父ですが、

もしもう一度会えるなら、いっぱい父の話を聞いて、痛いところをさすってあげて、

大好きだったトンカツとステーキをお腹いっぱいご馳走してあげたいです。

あ、久しぶりの更新が暗い話題になってしまった

重たい話なのでスルーしてください。

はや11月ですね。

ハロウィン終わって、紙す鬼(かみすき)さんも衣替え。

手編みの腹巻きでぬっくぬくです。