今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

記念撮影。

2011-01-09 23:28:40 | タラの日記

ようこそ、卯月です。
今日は、午後、娘の成人の日の写真撮影に(1日早いけど)、付き添っていきました。
昨日のカウンセリングの帰りに、デパートでコサージュと髪飾りとパールのネックレスを買い、ギリギリ用意が整ったのでした。
正装などしたことのない娘、ストッキングのはき方から教えなければなりませんでした。
白のスーツにフリルのブラウスを合わせて、アクセサリーで飾ったら、お人形さんのよう(わ、親バカ!)に綺麗に仕上がって、見ている私はうきうき、娘はチョー緊張した面持ち。
フォトスタジオで撮影してもらって(全部で30回ぐらいシャッターを押したかな?)モニターで絞り込み、立ちポーズ1枚・座りポーズ2枚の計3枚を選ばせてもらいました。その中の特に気に入った1枚を、普通のL判に焼き増ししてもらって、親戚に送ることにしました。たくさんのお花を背景にした笑顔の写真で、もうほんとに可愛く撮れていて(親バカをお許しください)、長い長い引きこもりの頃を思い起こして、「この子のこんな晴れ姿が見られる日が来るなんて」と一人で感慨無量。
娘は「やっぱり私って太ってる。痩せなくちゃ」とか「もうちょっと可愛いつもりだったのに、周りの人には実際にはこんなふうに見えてるんだ。ショック」とか、モニターに映る自分の姿にガッカリしているふうだったけど、私には申し分なく綺麗に見えました。
やっぱり記念写真を撮ってよかった!
一生の記念になりました。

子ども二人が不登校・引きこもりだった私にとって、晴れがましい場面というのがこれまでほとんどなかったし、それでいいと思ってきました。
子どもたちと一緒に過ごして日々その成長を見ていることが幸せと思っていました。
でも、今日の娘の姿を見て、なんだか思ってもいなかった特別のご褒美を、神さまからもらったような気がして、うれしくて涙が出ました。
娘がここまで大きくなった喜びを分かち合える夫がいないことが残念だけど、きっと夫もどこかで見て泣いているかも。

成人式って、親のためにあるのかもしれないな。
自分の成人式のときは、そのありがたみがわからなかった。19歳と20歳で何が違うのよ、何がそんなにめでたいのよ、って思っていた。
今、娘にとっても、二十歳になるということがどういうことなのか、わからないだろうと思う。
その節目は、親にとってのものなのかもしれない。ご苦労さま、というご褒美の日なのかもしれない。

フォトスタジオですごい金額のお金を払って、その後デパートで娘に洋服(通学服)を買い、散財の一日だったけど、「明日の朝、死んでるかも」と思えるようないい日だった。
もう一生分の親孝行をしてもらった。娘、ありがとう。
ここまで支えてくれたみなさん、ありがとう。
感涙です。

コメント (4)
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